アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov)は、
戦前、日本に住んでいました。
ピアノがとても好きな少年で悪さをすると、
両親にピアノに鍵をかけられ、弾けなくされたそうです。
日本が戦争に突入しそうななる前、
旧ソ連に戻られたようです。
しかし、日本での在住が仇となって
父親は、スパイ容疑のため銃殺。
母親の方は、収容所送りとなり、そこで死にました。
その後、
人に認められることなく、
不遇な時代を
ピアノとともに生きました。
ヴェデルニコフは、天才的なピアニストでありながら、
ピアノの弾き方が軽やかで明晰だったため、
当局から危険視され
演奏会活動が許されませんでした。
日本でも戦争中は、
健康的なものは戦争を忌避させるとして、ご法度でした。
それに似ているかもしれません。
ウィキペディアの記述によると
音が澄んでいるらしいです。
you-tube「あるロシア人ピアニストを巡る対話」(NHKの番組)にも、
そう評したように聞こえる解説がありました。
ペレストロイカで
やっと世界の国々に知られるようになりましたが、
1991年にソ連が崩壊し、
わずかその二年後、
帰らぬ人となりました。
バッハをこよなく愛したヴェデルニコフ、
この人の演奏によって、
実際、僕は、バッハが中学生の頃に馴染んだ
姿とは違う様相で立ち現れる
のを感じました。
皆さんも、一度じっくりと味わって見て下さい。
こころが洗われますよ。
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (1/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (2/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (3/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (4/4)
戦前、日本に住んでいました。
ピアノがとても好きな少年で悪さをすると、
両親にピアノに鍵をかけられ、弾けなくされたそうです。
日本が戦争に突入しそうななる前、
旧ソ連に戻られたようです。
しかし、日本での在住が仇となって
父親は、スパイ容疑のため銃殺。
母親の方は、収容所送りとなり、そこで死にました。
その後、
人に認められることなく、
不遇な時代を
ピアノとともに生きました。
ヴェデルニコフは、天才的なピアニストでありながら、
ピアノの弾き方が軽やかで明晰だったため、
当局から危険視され
演奏会活動が許されませんでした。
日本でも戦争中は、
健康的なものは戦争を忌避させるとして、ご法度でした。
それに似ているかもしれません。
ウィキペディアの記述によると
音が澄んでいるらしいです。
you-tube「あるロシア人ピアニストを巡る対話」(NHKの番組)にも、
そう評したように聞こえる解説がありました。
ペレストロイカで
やっと世界の国々に知られるようになりましたが、
1991年にソ連が崩壊し、
わずかその二年後、
帰らぬ人となりました。
バッハをこよなく愛したヴェデルニコフ、
この人の演奏によって、
実際、僕は、バッハが中学生の頃に馴染んだ
姿とは違う様相で立ち現れる
のを感じました。
皆さんも、一度じっくりと味わって見て下さい。
こころが洗われますよ。
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (1/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (2/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (3/4)
Anatoly Vedernikov play Bach Partita No. 6 in E Minor, BWV 830 (4/4)
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