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内容の書き出しが
ブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪」
でなされています。
紹介します。
☆ 前半URL:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3223.html
☆ 後半URL:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3224.html
印象に残ったのは、
サリンの話が
出てくるところです(ビデオタイム16:00~)。
――ジョゼフズさんは、情報公開法で手に入れた自分のカルテを調べて驚きました。そこにあったのは毒ガスとして使われるサリンなどの解毒剤の名前でした。無色無臭で中枢神経を破壊し、極めて高い致死性を持つサリン。それはアメリカが力を入れて開発実験を繰り返してきた化学兵器でした。
敵に気付かれずに建物の中にも入り込むため、局地戦に有効だと考えられていたのです。――
と記されています。
実験中止を申し入れると、
「お前は、ベトナム行きだ」と
脅されたと言います。
このように
米軍が力を入れた
化学兵器は、
核兵器に代わるものとして
開発されたのでした。
その開発は、
「プロジェクト112」と
名付けられました。
それは、
ソ連の影を恐れた
米軍の暴走と言われています。
開発と並んで重要な課題は、
サリンの貯蔵です。
その一翼を
担ったのが沖縄でした。
やがて事故があり、
沖縄に
毒ガスがあることが
伝わりました。
人間の尊厳にかかわるものとして
毒ガス撤去運動が
始まりました。
50日間に及んだ撤去作業は、
沿線の住民に大きな負担をかけるものでした。
店は休業状態。
子どもとお年寄りは、
疎開を余儀なくされたのです。
発覚してから2年。
沖縄を揺り動かした
1万3000トンの毒ガスは、
ハワイ沖の孤島ジョンストン島へと送りだされていきました。
移送ルートの変更を求めて
声を上げた
中曽根さんが
次のように述べられていたのが
心に響きました。
――何か事件が起きた時に、事件や事故が起きた時に、「そうだったんだ」ということを事後に知らされるっていう状態が、ずっと。この、戦後60年、68年と言われる今でも、ずっと続いていますね。これはもう・・・、ぜひ、僕らの子や孫たちの時代には、こういう事は引き継ぎたくないですね。・・・悔しいですよ。――(ビデオタイム42:20~)。
他方、人体実験に利用された米兵の訴えに対し、
サンフランシスコの裁判所は、
しかし、内容は、
元兵士たちにとって満足のいくものではありませんでした。
人体実験に対する情報の開示については
認められたものの、
最も重要視していた
医療の補償については認められなかったからです。
この点につき、
パーキンソン病を患う元兵士ジョゼフズさんは、
こう述べます。
――医療の補償も無くて、どうやって生きていけばいいのでしょうか?
私たちが死ぬのを待っているのでしょうか?
人体実験が国家にとって必要だったかどうかはわかりません。少なくとも、私には必要のないものでした。――(ビデオタイム45:45~)。
番組は最後に、
――記録と証言から浮かび上がってきた、アメリカ軍の化学兵器開発の実態。冷戦の中で国家を挙げて進んだもうひとつの軍拡。半世紀を経た今、それはいったい私たちに何を残しているのでしょうか?――
と問いかけていました。
内容の書き出しが
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印象に残ったのは、
サリンの話が
出てくるところです(ビデオタイム16:00~)。
――ジョゼフズさんは、情報公開法で手に入れた自分のカルテを調べて驚きました。そこにあったのは毒ガスとして使われるサリンなどの解毒剤の名前でした。無色無臭で中枢神経を破壊し、極めて高い致死性を持つサリン。それはアメリカが力を入れて開発実験を繰り返してきた化学兵器でした。
敵に気付かれずに建物の中にも入り込むため、局地戦に有効だと考えられていたのです。――
と記されています。
実験中止を申し入れると、
「お前は、ベトナム行きだ」と
脅されたと言います。
このように
米軍が力を入れた
化学兵器は、
核兵器に代わるものとして
開発されたのでした。
その開発は、
「プロジェクト112」と
名付けられました。
それは、
ソ連の影を恐れた
米軍の暴走と言われています。
開発と並んで重要な課題は、
サリンの貯蔵です。
その一翼を
担ったのが沖縄でした。
やがて事故があり、
沖縄に
毒ガスがあることが
伝わりました。
人間の尊厳にかかわるものとして
毒ガス撤去運動が
始まりました。
50日間に及んだ撤去作業は、
沿線の住民に大きな負担をかけるものでした。
店は休業状態。
子どもとお年寄りは、
疎開を余儀なくされたのです。
発覚してから2年。
沖縄を揺り動かした
1万3000トンの毒ガスは、
ハワイ沖の孤島ジョンストン島へと送りだされていきました。
移送ルートの変更を求めて
声を上げた
中曽根さんが
次のように述べられていたのが
心に響きました。
――何か事件が起きた時に、事件や事故が起きた時に、「そうだったんだ」ということを事後に知らされるっていう状態が、ずっと。この、戦後60年、68年と言われる今でも、ずっと続いていますね。これはもう・・・、ぜひ、僕らの子や孫たちの時代には、こういう事は引き継ぎたくないですね。・・・悔しいですよ。――(ビデオタイム42:20~)。
他方、人体実験に利用された米兵の訴えに対し、
サンフランシスコの裁判所は、
しかし、内容は、
元兵士たちにとって満足のいくものではありませんでした。
人体実験に対する情報の開示については
認められたものの、
最も重要視していた
医療の補償については認められなかったからです。
この点につき、
パーキンソン病を患う元兵士ジョゼフズさんは、
こう述べます。
――医療の補償も無くて、どうやって生きていけばいいのでしょうか?
私たちが死ぬのを待っているのでしょうか?
人体実験が国家にとって必要だったかどうかはわかりません。少なくとも、私には必要のないものでした。――(ビデオタイム45:45~)。
番組は最後に、
――記録と証言から浮かび上がってきた、アメリカ軍の化学兵器開発の実態。冷戦の中で国家を挙げて進んだもうひとつの軍拡。半世紀を経た今、それはいったい私たちに何を残しているのでしょうか?――
と問いかけていました。
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