のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

志はある? それとも、ないですか?

2010年08月29日 13時45分05秒 | Weblog
「志」なんて言うと、中学生みたいですね。

(いまさら、何を青臭いことを!)と思われそうだし、

ちょっと口にし難い単語です。

でも、短い人生、一度は口にしたいでしょ?

「志? おまへんな~。

めざしは、昨日、食べますた」のままでは、笑われそうです。

就活に響くかも…

というのは冗談ですが、

この際、どう答えたらいいのか考えておくのもいいかも、です。

病(やまい)だれに志と書いて、「痣(あざ)」と読みますでしょ。

青痣、赤痣だらけでも、

筋の通った生き方をしようと思えば、

志は、必須です。

というわけで、今日はその話です。

さすがの孔子も、このテーマでは自ら進んで語りだす気がしなかったのか、

あるいは、他人を論評するのに、

「あいつは、志が低ぇ~」とか「まあ、まあだね」とか言うのを、

聞きずてならんものに感じられたのかもしれません。

顔淵(がんえん)、子路(しろ)という高弟が傍(かたわ)らにいるとき、

「蓋(なん)ぞおのおの爾(なんじ)の志を言わざる」

(どうして、君たちは、自身の志を語らないのかね)

と、弟子たちに水を向けました。

まず答えたのは、子路です。

この人、何事にも臆しないのですね。

論語には、次のよう返答したと記してあります。

「子路曰(いわ)く、

願わくは、車馬(しゃば)衣(い)軽裘(けいきゅう)、

朋友と共にこれを敝(やぶ)りて憾(うら)みなけんと」とあります。

「軽裘」とは、上等な皮ごろもです。「車馬」はいいですよね。

乗り物のことです。

「軽裘」との対比で言うと、高級車です。

「衣」は、着るの意です。

ここまでの予備知識で大体の意味は了解できますかね。

友人と車を一緒に乗り回し、いっちょらの服を二人で着回し破いても

仲違(なかたが)いしないで済ませたい、ということです。

隣りで子路の説を聞いていた顔淵が

「チッ!」と言ったかどうか・・・は、不明です。

が、ともかく、

反論するかのように

「善に伐(ほこ)ることなく、

労を施(うつ)すことなけん」と述べました。

他人に親切(善)にしても、それを誇ることなく、

苦労を背負わせないようにしたいものだ、ということです。

顔淵の考えを聞いた後、子路は尋ねます、

「先生の志を教えて下さいよ」と。

孔子は、答えます。

「老者はこれを安んじ、

朋友はこれを信じ、

少者(わかもの)はこれを懐(なつ)けん」と。

現代語訳すると、次の如くです。

「年寄りは気楽に過ごさせてあげ、

友人は信じ抜き、

若者は手なずけたい」。

どう思います?

子路は、ポンコツにしてよいという覚悟で「BMW」や「ベンツ」の新車に

マイケル・ジャクソン張りの風貌で乗り込み、

それに僕りん直筆のサイン入りTシャツなんかがないと、

どうにもこうにも恰好がつかず、享楽的ですね。

顔淵は、これに照らし、禁欲的です。

知らぬうちにしてしまう、自慢話やら他人様への迷惑行為に

絶えず、ねばねばと注意しておかねばだ、です。

この二人に対し、師匠の孔子は、どう表現したらいいのでしょう。

平々凡々という言葉が似合うと思いませんか。

「志と言っても、普通でいいんだよ。

高くもなく、低くもなく」

高笑いしながら、そう説明している孔子の顔が目に浮かびそうです。




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