「ほら、パトカ―」
と舌打ちしながら、
運転者さんが僕に注意を促しました。
(右側に写ってる白ヘルの人は、お巡りさんです)
最初、何を言いたいのかが分りませんでした。
だって、僕は子どもじゃないし、
パトカーなどに興味を持っているわけが
なかったからです。
しかし、やがて謎が解けます。
賛否両論の福島駅伝をしていたのですね。
選手が走っている間、
沈黙が続きました。
僕は、よそ見。
さっきまで饒舌だったのに、
運転手さん、すっかり人が変わったようでした。
「駅伝は、福島の復興の象徴」
という刷り込みが僕の頭にあったからでしょう。
運転手さんの不機嫌ぶりは、
意外でした。
でも、よくよく考えて、
いろんな受け取りようがあって当然です。
もちろん、駅伝に賛成の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それは、
一つの立場に過ぎないのですね。
この運転手さんの場合は、
駅伝を快く思っていないということなのでしょう。
飯舘村を愛すればこそ、
僕の乗車を受け入れてくれました。
しかし、だからこそ、人一倍放射能に対しては
敏感と言えるのかもしれないです。
道中、柿を見て
「たわわに実ってますね。渋柿ですかね」
と呟くと、
あんぽ柿のこと、話して下さいました。
「残念だけど、セシウムがまといつくから、
もう吊るせねぇ」
ということでした。
山林には
どれほど豊かな山菜が採れるのかなど、
語り口が滑らかで、
とても楽しそうでした。
反面、それをもう採れない悔しさが
言外に滲み出ていました。
そういうこともあって
駅伝のランナーが通りすぎる間の
突然の沈黙に対して、
どぎまぎとしてしまいました。
ところで、
駅伝ランナーが走る鉄橋に近づく少し前、
大阪のダブル選挙の話から、
一つ質問されました。
「大阪人って優しいんですか?」
というものでした。
「大阪では『儲かりまっか』というのが
ごく自然な挨拶言葉になってます。
…そういう商いの精神を
“優しさ”で括るのは難しいと思いますね」
と答えました。
それっきり会話が途切れました。
駅伝を見送った後は
思いの外、福島の駅が近く、
言い足りなさを感じながら降車しました。
駅ビルで
宮城県産の「牡蠣弁当」を買いました。
運転手さんの
「大阪人って優しいんですか?」
という問いが
頭の中で響き渡っていました。
優しく感じる…感じない?
どちらもすっくり来ない気がしました。
これは確かだなと思えたのは、
もし、僕が飯舘村の訪問をしなくて
大阪でずっと物を考えていたら、
きっと宮城県産の「牡蠣弁当」を買うなど
ありえなかったということ――。
自分の歩いた足取りによって、
考える方向が左右されるのですね。
それを素直に認める柔軟性は、
少なくても僕に関してなら、あると思いました。
そんなわけで、
今まで表に現れ出なかった自分の違う面を
発見できました。
郡山で見た
「東北、いま行かなくて、いつ行くんだ」
というJRのポスターのお陰です。
ほんとに貴重な体験をさせてもらうきっかけとなりました。
と舌打ちしながら、
運転者さんが僕に注意を促しました。
(右側に写ってる白ヘルの人は、お巡りさんです)
最初、何を言いたいのかが分りませんでした。
だって、僕は子どもじゃないし、
パトカーなどに興味を持っているわけが
なかったからです。
しかし、やがて謎が解けます。
賛否両論の福島駅伝をしていたのですね。
選手が走っている間、
沈黙が続きました。
僕は、よそ見。
さっきまで饒舌だったのに、
運転手さん、すっかり人が変わったようでした。
「駅伝は、福島の復興の象徴」
という刷り込みが僕の頭にあったからでしょう。
運転手さんの不機嫌ぶりは、
意外でした。
でも、よくよく考えて、
いろんな受け取りようがあって当然です。
もちろん、駅伝に賛成の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それは、
一つの立場に過ぎないのですね。
この運転手さんの場合は、
駅伝を快く思っていないということなのでしょう。
飯舘村を愛すればこそ、
僕の乗車を受け入れてくれました。
しかし、だからこそ、人一倍放射能に対しては
敏感と言えるのかもしれないです。
道中、柿を見て
「たわわに実ってますね。渋柿ですかね」
と呟くと、
あんぽ柿のこと、話して下さいました。
「残念だけど、セシウムがまといつくから、
もう吊るせねぇ」
ということでした。
山林には
どれほど豊かな山菜が採れるのかなど、
語り口が滑らかで、
とても楽しそうでした。
反面、それをもう採れない悔しさが
言外に滲み出ていました。
そういうこともあって
駅伝のランナーが通りすぎる間の
突然の沈黙に対して、
どぎまぎとしてしまいました。
ところで、
駅伝ランナーが走る鉄橋に近づく少し前、
大阪のダブル選挙の話から、
一つ質問されました。
「大阪人って優しいんですか?」
というものでした。
「大阪では『儲かりまっか』というのが
ごく自然な挨拶言葉になってます。
…そういう商いの精神を
“優しさ”で括るのは難しいと思いますね」
と答えました。
それっきり会話が途切れました。
駅伝を見送った後は
思いの外、福島の駅が近く、
言い足りなさを感じながら降車しました。
駅ビルで
宮城県産の「牡蠣弁当」を買いました。
運転手さんの
「大阪人って優しいんですか?」
という問いが
頭の中で響き渡っていました。
優しく感じる…感じない?
どちらもすっくり来ない気がしました。
これは確かだなと思えたのは、
もし、僕が飯舘村の訪問をしなくて
大阪でずっと物を考えていたら、
きっと宮城県産の「牡蠣弁当」を買うなど
ありえなかったということ――。
自分の歩いた足取りによって、
考える方向が左右されるのですね。
それを素直に認める柔軟性は、
少なくても僕に関してなら、あると思いました。
そんなわけで、
今まで表に現れ出なかった自分の違う面を
発見できました。
郡山で見た
「東北、いま行かなくて、いつ行くんだ」
というJRのポスターのお陰です。
ほんとに貴重な体験をさせてもらうきっかけとなりました。
大阪の人にゃん優しいのか・・・ってにゃん☆
う~ん☆人にゃんそれぞれにゃんよね☆
TVでにゃん大阪にゃんおばさんにゃんよくにゃんでるからにゃん☆誤解にゃんあるのかもしれないにゃんね☆魔女にゃんはにゃん☆人情にゃん厚いまちにゃんおもうにゃん☆
これが仮に、「大阪人は面白いのか」でも、うずくまってしまうような難問とらな。
でも、これが一転、「あんた、理想がある?」って、訊かれたらどうだろうとら。きっと、警察で取り調べを受けてる容疑者の気分だろうとらな。
「人間に見えるけど、本当に人間?」
これは、想像する限りでは一番怖い問いとら。きっと、自己評価で、僕は、「人間」という自信を持ってないのがばれるトラ。うひうひ。
恐ろしや、恐ろしや。
正直に応えたらな、「苦労してるんだね。走っている電車に飛び込みたくなるでしょ?」と、妙な話の締めくくり方をされそうとらな。