許せねぇ、と思うものの一つが、これ、「花盗人」だ。
でも、この言葉を主語にして後ろには普通、「罪にならない」という述語が続くらしい。
人が丹精こめて育てたものを盗んで、何故、罪にならない????
花盗人に寛容なのは”日本の伝統”だとする考えもあるようだ。ある人のブログに
そんな記述があった。
(え~っ)
自分がかつて花盗人にあって、味あわされたトラウマが鮮やかによみがえって、この
言い回しの典拠を調べてみた。
二つあるようだった。
一つは、狂言「花盗人」。もう一つは、「和泉式部日記」。
前者は、桜の小枝を折り取ったため、捕らえられ、桜の木にくくりつけられた。解放
してもらおうとして歌を詠む。その内容は、「この春は花のもとにお縄になってしまっ
た。この桜には気の毒だが、人はこの桜を見て言うだろう、警察(烏帽子)桜だと」
というもの。歌が秀逸だったため縄を解かれた上、花見の酒宴にも参加させてもらっ
たというお話だ。後者は、花盗人と言うなら言え。心を奪われたのは自分だ」という
男の恋心を説明するくだりに出てくる (二つとも意訳だ。古典に興味ある人は、自分
で確かめ下さい)。
この二つ、似ているようで、観点が違う。
前者は、借景としての花盗人の野暮さ加減を笑っているのに対し、後者は、恋心のや
るせなさを花盗人という言葉に託して訴えているわけだ。両方がごちゃ混ぜになって
言葉の残像のようなものだけが現代に伝わっている苛立ちを感じた。語源としては、
前者が。意味合いとしては後者の勢いが強いのかな。
花を愛する人は優しい。しかし、盗む人は、優しいのか。
答え、優しくないのだ。
盗めば、花の自己愛を奪うから・・・
自己愛は出口を欲している。しかし、出口を得るため、他人の自己愛を否定すれば、
人ではなくなる。
かつて人間の本源性を”類性”と呼んだ。もう、この言葉、死語だろうか。
チューリップの花が何本も折られた事件が何ヶ月か前に起こった。秋葉原の事件との
連続性を感じる。だからこそ、言いたい。花盗人は、無差別殺人に通じる反社会的な
欲求なのだということを。寛容であってはいけない。
でも、この言葉を主語にして後ろには普通、「罪にならない」という述語が続くらしい。
人が丹精こめて育てたものを盗んで、何故、罪にならない????
花盗人に寛容なのは”日本の伝統”だとする考えもあるようだ。ある人のブログに
そんな記述があった。
(え~っ)
自分がかつて花盗人にあって、味あわされたトラウマが鮮やかによみがえって、この
言い回しの典拠を調べてみた。
二つあるようだった。
一つは、狂言「花盗人」。もう一つは、「和泉式部日記」。
前者は、桜の小枝を折り取ったため、捕らえられ、桜の木にくくりつけられた。解放
してもらおうとして歌を詠む。その内容は、「この春は花のもとにお縄になってしまっ
た。この桜には気の毒だが、人はこの桜を見て言うだろう、警察(烏帽子)桜だと」
というもの。歌が秀逸だったため縄を解かれた上、花見の酒宴にも参加させてもらっ
たというお話だ。後者は、花盗人と言うなら言え。心を奪われたのは自分だ」という
男の恋心を説明するくだりに出てくる (二つとも意訳だ。古典に興味ある人は、自分
で確かめ下さい)。
この二つ、似ているようで、観点が違う。
前者は、借景としての花盗人の野暮さ加減を笑っているのに対し、後者は、恋心のや
るせなさを花盗人という言葉に託して訴えているわけだ。両方がごちゃ混ぜになって
言葉の残像のようなものだけが現代に伝わっている苛立ちを感じた。語源としては、
前者が。意味合いとしては後者の勢いが強いのかな。
花を愛する人は優しい。しかし、盗む人は、優しいのか。
答え、優しくないのだ。
盗めば、花の自己愛を奪うから・・・
自己愛は出口を欲している。しかし、出口を得るため、他人の自己愛を否定すれば、
人ではなくなる。
かつて人間の本源性を”類性”と呼んだ。もう、この言葉、死語だろうか。
チューリップの花が何本も折られた事件が何ヶ月か前に起こった。秋葉原の事件との
連続性を感じる。だからこそ、言いたい。花盗人は、無差別殺人に通じる反社会的な
欲求なのだということを。寛容であってはいけない。
ごめん。
難しく書くつもりはなかったのです。
ただ、Gooの「教えて」やらその他のサイト・ブログも含め、書かれてある内容が浅すぎです。こりゃ、本格的に物申さないと誤解したままに、「花盗人に寛容なのが日本文化の伝統」と思い込んでしまう人が増える、と危機感を抱いてしまいました。
当のブログを書いた人に、誤解を指摘すると、完全に固まっちゃって、聞く耳もたんという態度に出られてるわけですよ・・・
なんだかなぁ、僕も疲れています。
物申したいなら教えて差し上げてくださいな。
答えれる方がいつも見ているとは限らないのです。
正しい答えが検索できれば、なるほどと思いこみも
変わるものだと思いませんか?
私もここではまーちんだってYoさんと同じ気持ちでした。
僕のブログが唯一、”あ~、納得!”と言える情報提供をしてるサイトと思います。
(こんなんでは分からんで~)という感想が上記の「浅すぎ」という評価につながるわけです。
狂言「花盗人」に至っては、「これが狂言として書かれていることを忘れないように」という注意書きがある程度です。これだけで、納得できます?
こちらの方もやはり古文そのままの引用があるだけです。
生意気なようだけれど、(読み込めるかな?)と、はなはだ疑問と思いました。
「このQ&Aについてブログを書く!」
というのがあります。それを使って下さい。
許せないです。
「教えて...」やらなんやらでその「罪」を曖昧にする表現があったとしても、それが許しがたい罪であると誰もが思えたなら、
忠太さんも悩まずにすむのですけどね。
そうではないからこんな事件が起こるのですが...
悲しくなります。
苛々とするのは、古典の解釈なんですね。どう読んでも破廉恥な罪であるということを前提にした記述なのに、「罪を問わない」根拠として挙げられていることです。
聞いた方も、何やら難しそうなことが書いてあるので、「あ~、そんなものですか」と納得している気配があるのが歯がゆいわけです。
現実に花を盗めば、窃盗罪で処罰されるし、花を育てた人の気持ちを考えたら、モラル違反だということ、改めて認識して欲しいと思いました。下手を承知で古典の現代語訳を載せた次第です。考えたら、古典の専門家でもないのに、冷や汗物ですよ!
でも、お陰で、こうやって9.5さんのように優しい感受性を持つ人と接触できたので、幸せかな、と思います。
コメントしてくれてありがとうございました。