のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

老人を養い、そして敬する

2010年08月19日 12時00分00秒 | Weblog
百歳以上の高齢者が消えた・・・ということがニュースになっています。

消えた年金とイメージが重なります。

しかし、あちらはお金、こちらは人間です。

なのに家族の年金の不正受給という背景がなかったら、

高齢者の即身成仏(?)が発覚しなかったという、事件発覚の顛末が寂しいです。

姥捨て山は、今や山間の奥地ではなく、都会にこそあるということでしょうか。

実際、行方不明者は、都市部に集中しています。

神戸市兵庫区・・・67人

大阪市西成区・・・45人

さて、さて、

あるマンションの販売広告に

「居住者、112人、80歳前の若いあなた、入りませんか」。

うっかりそんなキャッチコピーに乗せられ、見に行ったマンションの居住者名簿には

行方不明者の名前がづらり。

「こんなところにいてはったんですか?」

という挨拶をしたのはいいのですが、絶叫もんです。

113人目の居住者欄には、すでにあなたの名が明記されてるんですから…


怪談めいた話、作っちゃいました。

怖くないって?

一人ひとり、行方不明になる経緯をマンション管理人のような人から説明され、

名簿の下の方にちらっと目を遣ると、

自分の名が記されてあった、まだ名前を知らないはずなのに・・・

となると、背中がぞくっとしませんか。

今現在、20歳代でも「80歳前の若いあなた」に該当します。

ちょっと、怖くなってきた?

でもないですか。


ま、怖い、怖くないは、どちらでもいいです。

ともあれ、消えた=死という、という脈絡でしか人の結末を予想しえないのでは、

所在不明の人が浮かばれない気がします。

養老は、ビジネスとしてできます。

しかし、敬老は、

家族や友人、仲間、ご近所の皆さんがして意味があります。

心のこもった敬老のお祝い品を届ける、

高齢者、特に認知症の方を中心とした温かい人間の関係が

地域にできることを願わずにおれません。


「孝」に関し、孔子の述べた言葉を紹介します。

子(し)曰(いわ)く

今の孝なる者は、能(よ)く養(やしな)うことを謂(い)う。

犬馬(けんば)に至るまで、皆(みな)能く養うことあり。

敬(けい)せざれば何を以(もっ)てか別(わか)たんや。[為政]

現代語訳すると、次の通りです。

先生はおっしゃった、

今、孝行と言えば、

世間では親に衣食の不自由をさせないことを言う。

それだけなら犬や猫〈原文では犬や馬)だって、充分に大事にされている。

敬愛の気持ちなくして、

何をもって、この二つの愛護の形が区別されうるだろうか云々。




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