10月1日付の
東京新聞に
山崎豊子さんへの追悼記事として
紹介してあった話です。
彼女は、
「本を読みたかったとき、
人を殺す弾を磨く」
ような学生時代を送られたようです。
動員先で
小説を読んでいたのを
将校に見つかり、
『この非国民め』と
平手打ちをされたそうです。
そのとき、
作家として書く方向が決まったのだ」と、
自分の人生を振りかえって
語られています。
今また、
暗い時代になりつつあります。
安倍某が
政権を握ってから、
日増しに
景気が悪くなってます。
無為、無策だから、
景気は、
どんどん悪くなってます。
それが
現実なんです。
なのに、社会の空気は、
逆を言い、
逆を認めさせようとして
“アベノミクス”
という妙ちきりんな言葉まで
発明されました。
「景気は悪いよ」と
真実を語ろうもんなら、
フル・ぼっこ。
「不思議の国のアリス」に
――あればですが――、
“逆さまの国”として描かれる現実に、
ほんと、目を白黒させています。
福一だって、
汚染水出っ放しなのに、
「コントロール下にあります」で
終わっているのです。
驚いたことに、
マス・メディアは、
沈黙を守っています。
特定秘密保護法が
制定され、
僕のように
ぽろ、ぽろっと
本心をしゃべりそうな人間を
一日も早く逮捕してやろうと思って、
公安は、
手ぐすね引いて待っていることでしょう。
こういう時代、
自分を守るのは
自分?
なのかな――。
口にチャック!!
こういう言い方が
すでに
挑発的なんですな。
〔資料〕
筆洗 2013年10月1日 東京新聞
☆ 記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/dxb83/39426161.html
十を聞き、一を書け-とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた
▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた
▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)
▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った
▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。その時、作家としての書く方向は決まったのだと
▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。そう問い続けた足跡が、残された。
東京新聞に
山崎豊子さんへの追悼記事として
紹介してあった話です。
彼女は、
「本を読みたかったとき、
人を殺す弾を磨く」
ような学生時代を送られたようです。
動員先で
小説を読んでいたのを
将校に見つかり、
『この非国民め』と
平手打ちをされたそうです。
そのとき、
作家として書く方向が決まったのだ」と、
自分の人生を振りかえって
語られています。
今また、
暗い時代になりつつあります。
安倍某が
政権を握ってから、
日増しに
景気が悪くなってます。
無為、無策だから、
景気は、
どんどん悪くなってます。
それが
現実なんです。
なのに、社会の空気は、
逆を言い、
逆を認めさせようとして
“アベノミクス”
という妙ちきりんな言葉まで
発明されました。
「景気は悪いよ」と
真実を語ろうもんなら、
フル・ぼっこ。
「不思議の国のアリス」に
――あればですが――、
“逆さまの国”として描かれる現実に、
ほんと、目を白黒させています。
福一だって、
汚染水出っ放しなのに、
「コントロール下にあります」で
終わっているのです。
驚いたことに、
マス・メディアは、
沈黙を守っています。
特定秘密保護法が
制定され、
僕のように
ぽろ、ぽろっと
本心をしゃべりそうな人間を
一日も早く逮捕してやろうと思って、
公安は、
手ぐすね引いて待っていることでしょう。
こういう時代、
自分を守るのは
自分?
なのかな――。
口にチャック!!
こういう言い方が
すでに
挑発的なんですな。
〔資料〕
筆洗 2013年10月1日 東京新聞
☆ 記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/dxb83/39426161.html
十を聞き、一を書け-とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた
▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた
▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)
▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った
▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。その時、作家としての書く方向は決まったのだと
▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。そう問い続けた足跡が、残された。
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