今日は、ボランティアガイドの研修があった。
平和公園にある、「原爆の子の像」
この慰霊碑を造るきっかけになったのが
2歳で被爆し12歳で亡くなった佐々木禎子さんが
籍を置いた幟町中学校のクラスメイト達。
一日も登校できなかった禎子さん亡き後、
同じように原爆で亡くなった子供たちの為に
慰霊碑を作る事を思い、全国の学校に募金を呼び掛けて
1958年5月5日に除幕されたのが
「原爆の子の像」
その原型が、幟町中学校に展示されている。
現役の校舎内に入ったのは、何十年振りでしょう
教室のすぐ近くに展示されている。
禎子さんが入院中に、鶴を折り始めたきっかけは
名古屋の高校から贈られてきた千羽鶴とか、
名古屋の一女性から贈られた鶴とか、色々言われている。
又、何羽折ったかははっきりわからないとか
改めての認識の勉強でした。
幟町中学校は、
縮景園の一部と、司法司令官の官舎があった場所にあり
校舎の裏に、被爆樹木がある。
滅多に入ることが出来ない場所なので、
しっかり見てきました。
爆心地方向はこんな風になっていた。
爆心地から半径2キロ以内にあるのが被爆樹木
市内に160本あるそうです。
今日は参加者17名
講師は会員さんで、私より後に入会された方。
元役所にお勤めされたらしく、
詳しく正確なお話でしたが、事前に問題用紙を出されたのには
参ったなぁ~~。
調べる事に意義がある…と言う事らしい。
調べるのに、結構苦労したけど。