八海の日替わり話

”日々をシッカリ楽しみ大らかに生きていく!”そんな爺さんです、よろしくねー!(^^)/

 ””雨にも負けず” 蒸し暑さにも負けず (∀`)エヘヘ

2024-07-15 | 日記
7月15日 外気温25℃ 外気湿度95% しとしとの長雨が続いている
カメラはドライボックスに入ったまま

雨で検索すると宮沢賢治が目についた
作品は278+80品の作品数のようだ
自分が齧った程度の作品は
風の又三郎 
銀河鉄道の夜
の走りくらいだ、本が好きだった頃もあるが
単車の分解・改造・モトクロスと夢中だった
中・高時代の時間が長い
そうか、記事がヘタクソで人気の出ないのも納得だ

だが、これは知っている
暗記テストがあったからだ、でなければ耳に
引っかかるくらいだろう
目を通してみると

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「雨ニモマケズ」 
宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ隂

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩 
南無多宝如来 
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩 
南無安立行菩薩
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(注)
サムサノナツオロオロアルキ
”サムナツ”
山背(冷害)の夏は飢饉の夏を表現したものか?
”オロオロアルキ”
どうすることもできないさまを表現したものか


夏の寒さは稲に冷害をもたらす。
凶作になってしまうと分かっていても、
自然を相手になす術もない。
賢治は農家のやり場のない気持ちを
表現したのだろう
冷夏の主な原因は「やませ」とされている。
北東からの冷たい風を指す
 ( 福島民報 あぶくま抄より 引用 )


人生の中の一にこの活動がある
農業指導を実践するために羅須地人協会を設立。
多方面で活動を行うが、無理がたたり病に倒れ
1933年(昭和8年)9月21日、37歳の若さでこの世を去る
仏教を信仰してその中で得た思いが志が
駆り立てたのかもしれない

山背の度重なる過酷から農民を救う思いが強かったのだろうか

その悲惨さを描いた報告書がある
餓鬼地帯を行く
東北農村惨状報告書――下村千秋様
*新しいウインドウでこのページに移動します*



本人しか、心の奥底はわからないが
現代の若き日本人が失っている日本の心の一端がここにある

それはある意味”お節介の心”かもしれない
しかし目を閉じ知らぬ振りのできない宮沢賢治の
生き方に見えて仕方がない

今の世はこの享楽の己主義だ
自分の欲が第一で第二は無い

宮沢賢治の世界は
その現代よりは人で生きていられる世界だと映る
たかが150年、その間人が失ったものは大きい

宮沢賢治その奥には
 自分自身の存在の真実を探す
禅の生き方が見て取れないか?
また宗門への信心が強かったから使命感で
突き進んだともとれる

宮沢賢治の作品を今からでも読んでみよう

今日も愚痴よりの記事となった
申し訳ない

この愚痴
現世相を見ると賢治さんのような心で強くいきたい
その気持ちの表れと思って下され


そうだ 金子みすゞさんの”大漁
どうとられましたか?

自分が思う”みすゞさん”の心は
大漁の喜びに沸き立つ浜の人の気持ちと
網に掛り死んでいく多くの魚の命

その見えないもう一つの海の中の悲しみ
それを読まれていると思います
食うものと食われるものの両方に立った視点で
目に見える事と見えない事
出来事は、その様に多くを合わせ、合わせた1面を見せている
それを見ている人の感じ方も色々ある

表だけでなくその裏もあるのだよと
そっと
「気が付いてね」て教えてくださってると思います

梅雨だけに湿っぽい記事が続いてます
ご容赦を願います。

お立ち寄りありがとうございました。
ではまた