住宅の設計をやっていると、「生活感のあるものをだしたくない」というお客さんがよくいます。
たいてい女性がそういう希望をもっているみたいです。
収納に隠してしまいたいというイメージしている感じはよくわかるので、収納を多くとったり、仕込み家具で処理したりするのですが(仕事なので・・・)、実は個人的にはあまり好きではないやりかたなんですよね。
今の家はあまり客間をとらなくなったので、居間が接客スペースになる場合もおおいので、来客者に雑然とした感じをみせたくないという事があるというのは理論的に説明できるのですが、何か他にもっと本質的な理由があるような気がしてなりません。
本来憩いの場である自宅は、自分の生活臭をばんばんだして、自分のテリトリー主張を全面に出していくのが生理的とか動物的には正しい巣のあり方のように思うのだけれど、それでは何故、人々は生活臭のない住処にあこがれるのでしょうか?
生活臭を隠すということは誰に対して隠すのでしょうか?
他人に対して隠すというのなら、それは自己主張がないということのあらわれでしょうか。
自分に対して隠すというのなら、それは自己肯定感が薄いということではないでしょうか。
ストレス社会の中で本当の自分を隠して、他と協調しなくては生きていけない現代社会の状況が無意識に住宅の中にも現れてきているような気がします。
自分の家の中でさえ自分を隠して生活しなければならないなんて・・・・・息が詰まりそうでとても考えられません。
もっと自分を主張していいのではないでしょうか?
まあ、実際にはモノがあふれてきて、理想とした生活とは似ても似つかない部屋になっていくのが普通だと思うので心配することはないのでしょうけど(^o^)/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます