迷走する枕茶屋

何も持たずに存在するということ

先月、私のアパートの隣人のマルカワさんが亡くなった。 80代の老人で、私の父によく
似た人だった。 性格も優しくて、背格好からハンチングの帽子の趣味までよく似ていた。
マルカワさんはちょっとした鉄道オタクで、電車の模型や写真や鉄道グッズなどが、
部屋中に結構あった。 一度コレクションを見せてもらったことがあったが、実に嬉しそうに説明してくれたのを今でも覚えている。 とても良い人だったが、3ヶ月前にしばらく留守にしますと私のところに言いに来たのを最後に、そのまま帰らぬ人になった。 多分入院でもするのかなと思っていたのだが、その予想が当たってしまった。 それから部屋の整理に若そうな人が来て後片付けをしていたが、マルカワさんには家族はいないと聞いていたので、多分遠い親戚か、あるいは仕事仲間の友人が頼んだ業者さんなのかなとも思った。 
淡々と家具や生活品が部屋から運びだされていた。 もちろん鉄道写真を引き延ばしたパネルやグッズ等も運びだされ、部屋はあっという間に何もなくなった。 そこに生活していたという痕跡さえもキレイさっぱり無くなった。

それから私はしばらく考え込んだ。 私も去年、下手したら死んでいたかもしれないのだ。
いつまた脳の血管が切れるかわからない。 3本目が切れたら間違いなく終わるなと、そんな予感はしている。 私もマルカワさん同様、自分の家族がいないから、最後はきっとこんな感じかな…   そう思ったら、今まで大事だと思っていたものや、趣味で集めたものが急に意味がないものに思えてきた。 大事なものってきっとこんなガラクタではないような気がした。 その価値が分かる者はその持ち主だけだから、その人がいなくなったらただのガラクタ同様に処分されてしまうのだろう。 以前にも書いたが、ゆっくりとだが断捨離は続いている。 なるべく必要のないものは部屋には置かないようにしている。 最近、マルカワさんの件でさらに断捨離が急速に進んでいる。 あまり聴かない音楽CDはパソコンの外付けHDDにすべて取り込んで売った。 あまり観ないDVDやブルーレイも売った。 仕事に必要だった本類(写真集や資料)ももう必要がないのですべて売った。 おかげで本棚もスカスカなので本棚も売れる。 今私の部屋にある趣味の物といえるのは、絵を描くための紙類とわずかな執筆道具とパソコンくらいである。 これだけさっぱりすれば後々片つけるのに楽であろう。 




「何も持たずに存在するということ」
これは角田光代のエッセイ集のタイトルだ。 私の思っていた内容とは少しばかり
違っていたが、タイトルは気に入ってるのでそのまま借用した。 金持ってる者の
世界を旅したエッセイなんて、所詮金持ちの道楽だな…     なんてね。 こちとらこの狭い
島国から一歩も出たことないやい!  (もっとも出たいとも思わないけど)
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