迷走する枕茶屋

評価の目が責任感を育てる

守らなければならない大事なものが出来ると人間は変わる。
子供のため、家族のために自分がしっかりしなきゃと思うと責任感が出てくる。
では、守るべきものがまだ無い人はどうだろう。
自分の家族を持たない子供は責任感はないのか? そうではない。 
子供にだって責任感が芽生えるきっかけはいくらでもある。


まず、子供が最初に認めてもらいたい相手は親である。
親に認めてもらえない子は、いつまでも認めてもらうことにこだわり続ける。
それがたとえ大人になっても、中年になってもだ。心のどこかにそれが引っかかってる。
死ぬまで永遠に認めてもらうことにこだわり続けるものなのだ。 
親に認めてもらった子供は、親の保護から卒業し、自立心が芽生える。
そうすると、今度は自分を認めてもらう相手は親以外の外の世界で探すしかない。
学校の先生や、友達、あるいは会社の同僚などだ。 自分の歩み進む道の先々には、あらゆる評価の目に突き当たる。
友だちとして認めてもらいたい。 先生に自分の意見を認めてもらいたい。
面接官に自分が会社に役立つ人間だと言うことを認めてもらいたい。 上司に自分の才能を認めてもらいたい。  自分を認めてもらう真剣勝負の場は次々と訪れる。
人に認めてもらうということは、自分が他人に必要とされている事を実感し、またそれに答えようとする意欲もわいて来る。 そして自分だけの居場所がそこに確保できたことになる。





仕事がら、たまに漫画家志望の子供の作品を見る機会があるが、原稿を見ている間、批評を待つ子供の態度も2種類に分かれる。
どんな評価が下されるのか、心臓も飛び出さんばかりに緊張している子供と、自信たっぷりで平然として読み終わるのを待っている子供である。
緊張すると言うことは非常に良い事で、どんな言葉でも洩らさず受け入れようとする姿勢が
出来ている証拠である。 問題なのは後者の方で、自分の作品に自信を持つのは良いけれど、こういう子は打たれ弱く、鼻が折れやすい。
基本的に誉めてもらいたがり屋だから、期待通りの評価がされないと、すぐ熱が冷めてやめてしまうか、自分を誉めて気持ちよくしてくれる人ばかりのいる場所へ移動する。 そしてその気持ちの良い状態にどっぷりと浸かり、そこから抜け出せなくなるのだ。  その典型的な例がいわゆる同人誌上がりのオタク絵漫画作家のことである。 もちろん、全部の者が悪いとは言わないが、特にタチが悪いのはエロしか描かない作家である。架空の名前で垂れ流されてる意味の無い自慰行為漫画に、産みだした者の責任感は何も感じないのも事実。 





昔のスタッフの中に、非常に健全な漫画を描く子がいて、今どき女の子のパンチラも描かない。どうしてか聞いてみると、自分の漫画が載ったら親や親戚の子供たちに見せたいから…と恥かしそうに言っていたのを今でもよく覚えている。
こういった作家は、安易に刺激的なシーンに頼らず、あくまでも内容で面白くしようとする
工夫が身に付くので良い方向に成長する。

こんな考えは今は時代遅れかもしれないが、最も大事な人たちに読んで貰いたいと願って描いた作品には、その人の誇りと責任感が感じられるものだ。



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