「自分をまげない勇気と信念のことば」 曽野綾子
色々と思い悩んでいた時期に、何気なく入ったブックオフで偶然見つけた。 この時はまだ曽野綾子という大作家の名を知らなかったが、この本のタイトルに妙に惹かれて中身も確かめずに即購入した。 なぜ惹かれたのか読んでみて納得した。 その時の私の感性にドンピシャハマりまくって、決して人間を綺麗事で祭り上げない、鋼鉄の信念を持つ言葉の数々に惚れ惚れしたのだ。 ちなみにこの作家はカトリック教徒なので聖書の引用とかちょくちょく出てくるが、あまり押し付けがましくない程度に、日本人の日常に絡めて例えてくれるので、聖書ほど敷居が高くない。 おバカな私にも理解できて、生きていくのに臆病な私に少しだけ勇気を与えてくれる、厳しくもあり優しくもある言葉が詰まった一冊である。
いくつか抜粋して自分なりに解釈してみる。
「人間は、自分が落ちぶれた時にだけ平等を望み、少し人より良い生活ができるようになると、人と同じでないことを望む、という幼い欲求を持つのが普通だからである」
「堂々と負けられる人間になる」
自分より優れた人に、素直に負けを認めることはとても大事であ、人間の潔さの美しさは
そこにある。 外面的社会的評価に左右される人ほど、子供を競争させることがかわいそうだと言い、その機会をなくすような方向へ教育を持って行くに違いない。 その結果、心身共に何も耐えられない奇形児ができあがるのだ。
子供に世界は平等だと教えようとする大人ほど、世間知らずでタチの悪いものはない。と、私は常々思っている。
「なぜ、この世は信じがたいほど思い通りにはいかない所だということを教え込まないのだろうか、この世は矛盾だらけで、その矛盾が人間に考える力を与えてくれる。 矛盾がなくて
すべてのものが全て計算どおりに行ったら、人間は始末の悪いものになったろう。考えることをやめ、利己になり、信仰も哲学も無くなる。 不完全で欲まみれだからこそ、それらに抵抗しようとする余地が生まれるのだ。」
「足し算の幸福と引き算の不幸」 これは納得がいく。 プラスマイナスで考えると、人生以外とマイナスにはならない。
「不幸とは避けずに迎え討つもの」 落ち込むより立ち向かってる時の方が、目標ができて突き進める。
「無知な私の存在は、ささやかな幸福のタネを蒔いている」
人は自分より無知な人を見ると、得意になって知識をひけらかし、幸福になるらしい。
笑われることを避けるより、笑われても教えてもらってトクする方が良いのだ。
知ったかぶりをして笑う側に立っていると、永遠に真実を知る機会がなくなるだけだ。
「弱さはその人の財産である」
強く見える人間は、弱さを隠しているだけである。 そして隠さねばならぬということは、
それだけでその人の弱さ(弱点)になる。 もう一つ、弱さを自覚する時に初めて人間は
強くなる方法を見つけるのである。 いわば弱さは、その人のれっきとした財産である。
私は神なんて信じないが、悪魔はいると思う。 人は容易く悪魔になるが決して神様にはなれない。 宗教によって戦争も起こる。 こんな矛盾で構成されている世界で、真実の言葉があること自体が疑わしい。 聖書だって現代の世には疑わしい。
本の巻頭でも言っているが、人の価値観を鵜呑みにして、どうして面白い人生が送れるだろうか… と、始まり、損も危険も覚悟の上で自分を貫く。そういう人を応援してくれるらしい。
まぁ、面白い人生が送れるかどうかは別として、この本のいうことを全て肯定しているわけではない。 読んでいて眉を顰める部分もある。 だから今の自分に足りないものだけを咀嚼して呑み込んで、自分の為の言葉を作り上げていく手助けをしてくれる本だと思う。
要するに、自分なりに一本筋の通った理屈を武器に、世の中どう渡っていこうが、人に迷惑がかからなければ一向に構わないということだ。
自分をまげない本をまげて撮影してみた。 全く意味のない曲げ方をしてみる勇気も必要だ。
最終的に出た結論はその程度か。 この程度である。
小さくて幼稚だねぇ・・・・・・ そう、小さくて幼稚なのである。