全日本柔道連盟(全柔連)強化委員長の斉藤仁さんが20日、肝内胆管がんのため、死去した。現役時代は故障に打ち勝ち、95キロ超級で1984年ロサンゼルス五輪と88年ソウル五輪を連覇。引退後は母校の国士舘大を指導し、04年アテネ五輪と08年北京五輪では全日本男子の監督を務めた。昨年にがんが見つかってからは治療を続けながら強化委員長として16年リオデジャネイロ五輪、20年東京五輪に向け、不祥事にも揺れた柔道界の再建に尽力した。闘い続けた54年の柔道人生だった。 76年モントリオール五輪男子無差別級金メダルで、柔道総本山・講道館の上村春樹館長(前全柔連会長)は「型にはめない指導で選手を育てていた。東京五輪までの強化も頭の中で整理できていたと思う。残念でならない」と惜しんだ。 上村館長は斉藤さんが右膝を負傷しながら金メダルを獲得したソウル五輪当時の男子監督。故障中でも可能な練習を自ら探し、患部に負担のない戦い方を突き詰めた斉藤さんの姿を見てきた。 アテネ五輪では技の切れ味鋭い男子100キロ超級覇者の鈴木桂治・国士舘大監督、北京五輪では力でねじ伏せる同級覇者の石井慧らを男子代表監督として鍛えた。上村館長は「タイプの違う選手を育て上げられたのは現役時代の苦労を生かしたから」と、斉藤さんの手腕を評価する。 ロサンゼルス五輪で斉藤さんとともに65キロ級で金メダルを獲得した松岡義之コマツ監督も「ロスでは豪快な柔道。ボロボロの体で臨んだソウルでは戦術的な柔道を見せた」としのんだ。斉藤さんは13年に発覚した前体制時の暴力指導などから柔道界再生に向けた取り組みを最後は病魔とも闘いながら続けた。松岡さんは「悩みも多かったと思う。志半ばで悔しいと思う。皆で遺志を受け継いでいきたい」と誓った。(毎日新聞) |
以前見かけたことがあります。
大きな体の方でした。
ご冥福をお祈りします。