「けんかえれじい」「ツィゴイネルワイゼン」など、独特の映像美で知られた映画監督、鈴木清順(すずき・せいじゅん=本名・清太郎<せいたろう>)さんが13日、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため東京都内の病院で死去。93歳。葬儀は近親者のみで営んだ。 東京生まれ。弘前高校に在学中の1943年に学徒出陣し、フィリピンなどを転戦。復員後、48年松竹大船撮影所に助監督として採用された。54年日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。58年の「暗黒街の美女」から清順と改名した。和田浩治や宍戸錠らのアクションを、奇抜な色彩感覚とリズムで演出し独特の映像センスを発揮した。「けんかえれじい」「東京流れ者」などで評価されたが、67年「殺しの烙印(らくいん)」を見た堀久作日活社長に「訳が分からん」と解雇される。 映画監督やジャーナリストが解雇に抗議して運動を展開したが、77年松竹での「悲愁物語」まで10年間の空白を余儀なくされた。80年独立プロの製作で「ツィゴイネルワイゼン」を撮って復活。夢と現実が交錯する幻想的な映像が高く評価され、キネマ旬報ベストテン1位、ベルリン国際映画祭審査員特別賞などを受賞。翌年「陽炎座」も話題となった。だが85年「カポネ大いに泣く」が興行的に失敗し、6年のブランクの後91年「夢二」を発表。「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」との“大正浪漫三部作”を完成させた。93年のオムニバス映画「結婚」の一部も担当。白ヒゲ、白髪のひょうひょうとした風貌で、ドラマや映画にも出演して人気を得た。 近年特集上映が組まれるなど再評価され、2001年には「殺しの烙印」のリメーク「ピストルオペラ」を監督、05年の「オペレッタ狸御殿」はカンヌ国際映画祭に出品されるなど、海外でも注目を集めていた。 元NHKアナウンサーの鈴木健二さんは実弟。(毎日新聞) |
ご冥福をお祈りします。