
ルアーフィッシングに夢中になったのは小学生の高学年になる数年間だけ・・・しかも、実際に釣れたのは、河口湖でブラックバス二尾のみ・・・・
もっぱら、友達と自転車で近所の川へ出掛けてはフナの浮き釣りや父親のアユ釣りに連れられ、ウグイなんかを釣って遊んでいた。
ルアーフィッシングは憧れ、当時、子供用の入門書があって、雷魚、ブラックバス、他にヤマメ、イワナ、ニジマスに関してもルアーで釣れる・・・そう解説されていた・・・そんな中、憧れたのがブラックバスだった。
相模湖の船宿の水槽にふてぶてしく泳ぐその姿は今でも目に焼き付いている。
小遣いを貯め、近所の百貨店にあった売り場でリールとロッドを手に入れたときは嬉しく、広場にバケツを置き、そこに投げ入れる練習までした。ラパラのCD2つとあとは安価なものを1ダース揃え、父親に嘆願し、河口湖へ連れていってもらった。
アユの友釣りしかやらない父は湖に到着するやいなや「頑張れよ!」と一声、シートを倒し仮眠してしまった・・長い運転に疲れたのだろう・・・桟橋に一人立った。子供とはいえ、半信半疑、果たしてこんな玩具を喰らうのか?何投したかは覚えていない・・ただ、重くなり、必死に巻き寄せ、その暴れる魚体を手にしたときの感覚や感動は今でも覚えている。やがて、寝惚け眼で車よりハイライトを吹かしながら様子をうかがいにやってきた父親の歪んだ笑顔が今も忘れられない・・・まさか釣れるとは・・・そう顔にかいてあった・・・
それから、相模湖か津久井湖か記憶は定かではない・・・かなりイカれたヤンキーにリールを献上しろと絡まれ、盗られてルアーフィッシングは封印された(笑)
どっちにしろ、それから間もなく、盆も正月もない怒濤の時短詰込み教育を施す進学塾に三年間、属することとなり、換気の悪い駅近郊のビルに年がら年中ほぼ缶詰にされ、他にも野球やら剣道など全てをやめ封印した。金属バットも竹刀も釣竿も埃を被り部屋の隅に立て掛けられまま置き去られた・・・
やがて、受験が終わり缶詰の封印は解かれた・・・それでも埃まみれの埃は払われずに置き去りのままに・・・・
その頃の欲求は別に・・・受験とは関係のない長い小説を読みたい・・・ショウウインドウに飾られたギターを手に入れ鳴らしたいなど・・・健康的に釣りに出掛けるなんて気分じゃなかった・・・流石に卑屈でひねた感じにもなる・・・そんな日々三年も続けりゃー・・・
島に来て、あまりやることが無く始めた釣り・・・最初はイカの疑似餌釣りに填った・・・徐々に封印されていた記憶の断片が沸々と呼び覚まされていきルアー釣りに・・・・。
そういやーあのロッドどっかに無いかな?実家に帰省した際に家中を捜した・・・オリムピックのガングリップロッド・・・原点のロッド・・・さがしだして島へと持ち込んだ・・・だが、ダイワのクロスドフェイスリールが足りない・・・そんなある日、釣具屋でダイワの分厚いカタログをみせて貰った・・・すると何と今でもあの頃と同じものが奇跡的にあった・・・・しかもモデルも当時のままに・・・・注文しロッドに装着した時に今までにない何とも言い難い感動を覚えた・・・宝箱を開けカビ臭い思い出が日に曝された・・・・
なるほど、そういうことか・・・その頃から一緒の大五郎という二十歳の頃にに死んでしまった犬に似た犬も最近飼い始めた・・・宝物は取り戻せるものなら・・・取り戻した方が良い・・・正解だった・・が、大人になりきれてない奴が益々子供じみていくのはいかがなものか・・・多少の疑問も感じつつ・・・
冬休みは譲ろう、確かに時に勉強も大切だ・・・けど、缶詰にされた夏休みもこの際、取り戻そう!
お空にいるアユ釣り師から数えて第三世代の息子が俺が始めてブラックバスを釣った年齢に成長した、その夏休み、同じ河口湖に出向いた・・・・
嬉しかった・・・・繋いだ・・・息子の野郎、飄々と釣りやがった・・・俺を差し置いて・・・・
記念に釣ったルアーと湖の遊魚巻と写真を額に飾った・・・
繋いだ・・2009年の夏休み、過去最高の釣りとなった・・・
かつて、わんぱくでもいい・・・たくましく育って欲しい・・そんなハムのテレビコマーシャルが流れていたっけ・・・・懐かしいな・・・
読み返しています。
感動しています。