遅ればせながらなでしこジャパンのワールドカップ優勝おめでとうございます
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今週のニュースで”いいね”と思った記事がありました。
宮間選手は、PK戦でW杯優勝が決まった直後、チームの歓喜の輪に加わらず、すぐにアメリカ代表の選手たちを気遣い声をかけに言ったそうです。
以下伝聞 『アメリカの選手はこう述べている。「試合後、彼女が歩み寄ってきた時、彼女は喜びをあらわにしていなかった。彼女はアメリカに敬意を表したかったのでしょう。なぜなら、私たちが負けてどれほど傷ついたか分かっていたから。その出来事は本当に日本が尊敬すべき国だということを表しています。』
というものです。宮間選手の敗者の心情を慮る心根が素晴らしいですね。惻隠の情を見事に体現していると思います。恥ずかしながら私は、スポーツ全般について全くのミーハーファンです。今回の女子サッカーも準決勝位から気になった程度ですが、こんな選手がいるなら、女子サッカー人気も長続きするように思います。
ちょっと話が逸れますが、日露戦争時の乃木希典将軍も降将のステッセル将軍に対し、水師営での会見で武人としての礼を尽くして接したそうです。 精根尽くして戦ったならば、勝敗が決した後は相手を讃える。
これこそまさに「戦いに勝ちては、葬礼を以ってこれに処る(老子)」ですね。この言葉は、最近読んだ安岡正篤氏の本に載っていました。佐藤栄作がニクソンと沖縄返還の交渉をする際に、語るように伝えた言葉とありました。「戦いに勝利したならば、勝者はこれを喜ぶよりも、むしろ葬儀に臨んだ人のように悲しみを以って身を処するべきである。」という意味だそうです。 この言葉に感動したニクソン大統領との交渉は巧く行ったようです。
明治の武人や政治家にはこのような考えが根底にあったから、世界に伍する競争力をつけられたのでしょうね。平成の政治家にこの惻隠の情などないように思います。
政権交代すれば「勝てば官軍 (菅軍)」とばかりに相手を痛めつけ、数の論理で攻め立てます。最もこの風潮は、民主党の十八番ではなく、自民党時代からあったのでしょうね。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と戦った郵政選挙の時も顕著でした。反対派には、自民党内で刺客を立て、選挙で大勝すれば数の論理で世の中を動かして行きました。その挙句に、選挙を経ずに安倍、福田と政権交代を行い、自民党が弱体化した一因とも考えられます。「驕れる者は久しからずの」通りとなってしまいました。
われわれ一人一人にも有権者として一端の責任があるのでしょうが、多数決の論理の怖さというのは、民主主義の怖さでもあるのですね。
宮間選手を見習って、いつでも心の片隅に「惻隠の情」、「恕(じょ)」の心を以って行動指針としたいものです