私が子供のころテレビアニメで「トムソーヤの冒険」をやっていた。
もう30年も前だが印象的なエピソードがある。それは、トムソーヤがペンキ塗りを"やらされている"場面だ。
最初はおばさんに命じられ、まさしくペンキ塗りを"やらされて”いたのだが、途中で友達がきたところ実に『楽しそうに』ペンキ塗りを始めたのである。友達は、楽しそうにペンキを塗っているトムを見て「やらせてくれよ」とお願いされて、勿体をつけて「ペンキ塗りをやらせてあげる」のである。
この教訓が最近よく頭に浮かぶのである。
職場で、今週は文書の引継作業を行っているが、「ショムニ」のように地味な作業だと思う。しかし、嫌々やっていると=やらされ感では、皆に嫌々が伝播してしまう そのためには、「楽しいことのように」振る舞った方がよいのではないかと思うのである。 昨日は午後から半日間誰もいない会議室に溜められた、文書が詰められた段ボールを処理するために一人でファイルのバーコードと格闘していた。
少し処理すると、また段ポールが運び込まれ、まるで賽の河原の石積みのようであった。
そんな中でも、先のトムソーヤのペンキ塗りの教訓から、やらされ感は伝播すると考え、楽しさを見つけ(装い)、仲間に引き込もうとしたのである。ただ、トムソーヤの物語と異なるところは、私の演技不足からか、過去の経験から本当につまらないと知ってしまっているからか、「やらせて欲しい」という人はついに現れなかったことである。
常々「また文書廃棄、(引継)」と他人から構われると、「趣味だから、楽しいよ」とかけあってはいるのだが、効果はなかなか表れてこない。後を継ぐ人が出てこないと一番困るんだよね(まあどうせ、異動は職務命令だから、私がいなくなれば誰かが命じられるだけなんだけどね) 。 「言ってみせ、やらせてみせ」で自分でも実践し、段ボールを持ってきてくれた課の人には「早く対応してくれて助かるよ」とか言って「褒めて」も見ましたが…
まあ、皆が嫌々でも予定通り出してくれたからよしとしよう。
処理が終わった段ボールの山がテトリスかSPIの空間把握の問題のようにみえた。