出羽三山神社社務所発行の火防神牛置物に付いた説明より
「火伏神牛の由来
神牛は湯殿山大神の本地大日如来の化身である。
湯殿山大神の御神徳の宏大無辺である事は今更申上げるまでも
ないが殊に火防の功験は昔から名高く、三山の神牛忽ち出現し
て猛火の中をかけめぐり大火を防いだ幾多の霊験を伝えている
三山の神牛札や神牛像をまつって大火、小火を免ぬかれた話は
現に今でも数多く弥々信仰を篤くする者が多い。
江戸の花は火事といわれ、屢々大火があり三山火防の神牛の御
霊験を信仰する者が多く、嘉永四年十二月二日江戸神田橋あた
りに大火があり庄内藩邸が危機にひんした事があった。
その時庄内藩主酒井家の人々が前々から信心していた三山の神
牛の御札を竿にさしはさんで屋根に登り「この大火を防ぎ給え
救はせ給え」と唱えて火煙をあおいだところ、忽ち猛火の中に
三山の神牛があらわれて烟の中を駈け廻ると見えたが、東南の
風がにわかに西北の風に吹き変わって危い火難から救はれた。
そこで藩の使番 芳賀黒兵衛が藩主の名代として 羽黒山に参詣
神牛札数千枚を拝受して、藩の人々や他藩の人々ににも配って、
愈々信心を篤くした。
又文化年中には筑前黒田藩でも三山の神牛の霊験によって火難
をのがれる事が出来たので、長柄の銚子一対を羽黒三所権現の
大前に奉納をした。
このように奇しく妙なる霊験が昔から数限りなくあり三山の神
牛は火防の神牛として今も多くの信者の間に広い厚い、信仰が
ささげられ神牛札を拝受する者が多い。」
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三山の神牛が火防に霊験あらたかであることについて記載してある資料である。
この神牛が湯殿山大神の本地大日如来の化身である、と冒頭にあるとおり
湯殿山の神様(湯殿山大権現)の本当の姿は大日如来でありそのお使いが牛である、
ということがいつのころからか出羽三山信仰の中にあったことに由来している。
お使いが牛であるからこれに関係して湯殿山の御縁年が丑歳である、というけれどなんで牛なのか・・・、諸説あります。
単純に丑年に開山されたから、とも伝えられているのでそれで良いわけですが。
それはまた今度じっくりと考えてみたいと思います。
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