岡野聖史です、こんにちは。
第二次世界大戦が起こるであろうと推測していた大日本帝国陸軍は、諜報が重要なものであると認識していました。
戦争が起こればそれは長く続くものであろうと推測し、相手の動きや情報をうまく取得するための機関が必要だと考えていたのです。
そこで1938年に、陸軍の将校たちが中心となって「防諜研究所」設立させました。
これは後に「陸軍中野学校」という名前となっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%AD%A6%E6%A0%A1
今回は、岡野聖史が日本にもあった「スパイ養成所」である陸軍中野学校に迫ります!
岡野聖史が迫るスパイ養成所の秘密
陸軍中野学校での教育は、やはり普通の士官学校とは違うものでした。
校内では、制服や軍服は着用しません。
その理由として、諜報活動をするものは一般市民に紛れたほうが、様々な情報を得られやすいということからでした。
授業の内容は大きく分けて「諜報」「謀略」「防諜」の3つありました。
「諜報」とは、情報を収集することに加え、どのようにしてその情報から相手の様子を推測するか、いかなる状況でも冷静に素早く意思決定をできるようにする学問。
「謀略」とは敵に誤情報やデマを流す情報操作や意図的な宣伝で相手の混乱や分裂を誘い出す学問。
「防諜」とは敵が仕掛けてくる諜報や謀略を素早く察知して、それを逆に有効活用して相手を欺く学問。
これら3つの特殊能力を養成し、スパイの卵を産みだしていたのです。
陸軍中野学校は1945年の敗戦以降は閉校となりましたが、2500名余りいた卒業生の中には活動を続けていた者も多かったようです。
今は、スパイを育てる必要のなくなった平和な国となりました。
この平和を次の世代にも受け継いでいきたいですね。
以上、岡野聖史でした。