こんにちは、岡野聖史です。
サッカー日本代表の岡崎選手と言えば、あのFCレスターを奇跡のプレミアリーグ制覇へ導いた立役者ですね。
今回は、その岡崎慎司選手について、岡野聖史が栄光からその影まで語りたいと思います。
岡野聖史が辿る岡崎選手の栄光と影
2015、2016シーズンのプレミアリーグは波乱に波乱を呼び、結果降格候補だったレスターが奇跡の優勝を果たすというとんでもないシーズンになりました。
そのすごさは、レスターのオッズ5000倍という数字が物語っています。
それだけ、誰も優勝なんか考えてなかったのです。
その中で岡崎慎司選手が果たした役割は、かなり重要かつ素晴らしいものだったと言えます。
イングランド人は、そんな岡崎のような“戦士”を好みます。
最近はかなり改善されましたが、もともとプレミアリーグはかなり肉弾戦の激しいリーグとして知られています。
それは、イングランドにおける国民性がそうさせているとされています。
身体を貼る戦士が皆大好きなのです。
岡崎選手は完全に、イングランド人の心をわしづかみにしていました。
「シンジ・オカザキ」の名前を知らないイングランドのサッカーファンはおそらく1人もいないでしょう。
岡崎選手の名前の付いた建物まで、レスターは立ててしまうほどです。
しかし、岡崎選手はこれに満足はしていなかったと言います。
優勝からしばらく経ったインタビューで彼は、「逆に悔しかった」と述べています。
一体なにがあったのでしょうか。
岡野聖史が辿る岡崎選手の影
それは、岡崎選手がレスターに加入する前まで遡ります。
当時岡崎選手はドイツのサッカーリーグであるブンデスリーガで活躍をしていました。
マインツという中堅クラブで、中心選手として君臨していたのです。
1シーズンに二桁得点のゴールを量産し、ストライカーとしての役割を演じてきました。
そう、レスターでの当初の役割は得点を量産する「ストライカー」だったのです。
守備の最前線という役割は自分に求められている姿とわかっていましたが、それは本来自分が理想とする展開ではなかったのです。
守備の要に甘んじていた岡崎選手は、優勝した翌シーズンからは本来見せていたインテンシティの高い守備に加え積極的にゴール前へ飛び出すようになります。
その結果、得点数はやはり伸びるのですが、ストライカーとしての合格点には及びませんでした。
その後若くて優秀なフォワードの選手がレスターに入ってくるようになり、出場機会が減っていってしまったのです。
常に自身の価値を証明し続けなければならないシビアな世界で、今日も岡崎選手は戦っています。
岡野聖史も尊敬したいところですね。
以上、岡野聖史でした。
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