おくのくんのリハビリ奮闘記

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退院後、自宅での生活

2021-04-08 15:14:33 | 日記

令和2年5月5日、退院してから3日が経ち、入院中お見舞いに来てくれた上司や同僚たちにお礼と挨拶のため、会社に訪問しました。

そこには嬉しい知らせが待っていたのです。

以前にも「介護関係の仕事」に就いていると掲載しましたが、うちの会社には「脳梗塞リハビリテーション滋賀」というリハビリ部門があり、そこでリハビリをしないか?と打診があったのです。もちろん快諾しました。入院中はほぼ毎日リハビリがあったのに、退院してからは体を動かせず、自宅では何度か転倒しそうになったり(実際転倒したことも)。本人は至って前向きです。「早く普通に歩けるようになりたい。もし可能なら野球も。」

私は元来、体を動かすのが好きな方で、むしろじっとしているのが苦手で小学校の通知表に「落ち着きがない」と毎年記入されていたほどです。

それだけに入院中の寝たきり生活は懲り懲りです。体を動かしたくて仕方ないのですが左足が思うように動かない。それでもできる範囲で動かせるようになりたいとの思いを持っていました。

「リハ滋賀」の管理者で作業療法士の小林さんに詳しく話を聞くと、「60日間集中リハビリ」として週2回の利用で1回約2時間の施術で計16回のプログラムでした。初回利用の日程を調整して本社を後にし、元の職場にも顔を出しに行きました。久しぶりに外を歩いたので気持ちよかったです。

脳梗塞リハビリステーション滋賀 (rehashiga.com)

 

 


退院②。そんなこんなで帰宅

2021-04-08 14:56:45 | 日記
結局、眼科の診察を終えて帰宅したのはちょうどお昼時。久しぶりに自宅での食事。大好きなビールを飲もうとしたのですが、家族に「昼間っから飲むんか」と厳しい指摘があり夕食時まで我慢しました。
 
そして夕食時、待ちに待ったビール。ついついペースが上がり、あっという間に350㎖缶2本を飲み干したところ、やはり家族から「早い」と指摘を受けて、350㎖缶を2本、2日に1回と制限されてしまうのでした。
 
さて日常生活ですが、いきなり入院以前のようにはできません。以前は毎朝、洗濯物を干すのが私の役でした。入院中は妻が代わってしてくれていたのですが、少しでも妻の負担を軽くしたいという思いでいました。しかし、我が家の物干し場は物置小屋の2階部にあるため階段を上がらなくては行けません。退院時に家族が居室を1階にしてくれたように、階段の昇降には自信がありません。ここは妻の言葉に甘えてお願いしました。
 
せめて何か役に立ちたいと新聞を取りに玄関先へ降りようとした時、踏み外して派手に転倒しました。幸いどこも痛い所はなく、無事でしたが無茶するなと家族から叱られました。

退院①。まずしたいこと…とは⁉

2021-04-08 14:55:52 | 日記
緊急入院から5か月が経った令和2年5月2日、晴れて退院となりました。
身体的には、左膝より下の麻痺と排尿障害が残っていますが私の中では、退院したら一番にしたいことがありました。それはコンタクトレンズを作ることです。
病気が発症する前までは2WEEK(2週間使い捨て)タイプの物を使っていましたが、網膜剥離の手術後、視力の変化が起きていて、従来使用していた物では合わなくなっていたのです。
妻の運転する車で一度自宅に戻って荷物を置いたらすぐに近所のかかりつけの眼科へ。眼科は駅前のビルの5階にあって、駐車場から歩いて行かなければなりません。
入院中、リハビリで病院内やちょっと外を歩くことはありましたが、今回からリハビリの先生なしで歩くことになります。しかし、やっと外へ出て来たわけですから好奇心やら何やらでヤル気満々で歩いて行きました。ベッドや車イスと一緒にレンタルしたロフストランドクラッチという腕カバーが付いたタイプの杖を両手に持って、ゆっくり慌てず…しかし確実に一歩一歩。
 
無事に眼科で受付を済ませて少し待合スペースで待った後、まずは視力検査から。左0.2、右0.9。またしばらく待って診察室で医師の診察。入院したこと、網膜剥離で手術を受けたことを話すと先生はコンタクト装着は少し待つように。との事だった。
やっと「目の見えにくさ」から解放されると期待したのだが、私が退院したら真っ先にしたい事はおあずけとなった。
 

退院準備 ~その2・自宅の受け入れ態勢~

2021-04-08 14:55:01 | 日記
退院後、自宅で生活する上で環境を整備することが必要です。まずは居室の確保。
私の家は祖父が50年以上前に建てた一軒家で、現在は私の両親、妻と3人の娘の7人家族で住んでいます。
病気をする前は両親が1階で若い者は2階という生活でしたが、1階の中央にかつては応接間として利用していた部屋が子供部屋になっていました。
私の体の状態から2階への階段昇降は危険だということで、その約8畳の子供部屋を明け渡してもらうことになりました。
 
実は私、元々介護関係の仕事をしておりまして、介護保険には多少の知識があります。この入院中にも妻に頼んで介護保険の認定申請を済ませていました。
認定は「要介護4」。認定調査に来てもらったタイミングが寝たきり状態だったこともあり、思ったより重い結果でした。
 
その結果を受け、自宅では私の受け入れ態勢に入りました。
先に述べた居室に介護保険で①レンタルしたベッドを設置し、②入口と風呂場、トイレに手すりを取り付ける工事を行いました。また③浴室用にイスを一脚購入。これで受け入れ態勢は万端。
 
一方、病院では自宅の上り框の段差を再現し、昇降動作の練習や入浴動作のリハビリを続けました。

退院準備 ~その1~

2021-04-08 14:45:47 | 日記
3月も末、病院側から、退院後は障がい者のための復職支援施設への入所をしたらどうかと勧められ、見学に行くことになりました。
入院後初めての外出になるためウキウキしていたのですが、入所自体には気が進みません。でもとにかく外出のためのリハビリです。
見学へは妻の運転する車で行くので、リハビリ室にある車の模型で作業療法士がうまい具合に再現して下さり、それに乗り込む練習をしました。
 
いよいよ外出の日。あいにくの雨模様でしたが、練習の甲斐があり車への乗り込みもスムーズにできました。コロナウィルスの渦中で病院への出入りも制限されていただけに、妻とゆっくりしゃべるのは久しぶりでした。
 
予定より早く到着し担当の方から説明を受けた後見学へ。築35年という建物は古い印象でした。入所の期間が1~2年と聞き一気にトーンダウン。半年近い入院生活を終えてやっと自宅での生活が待っていると思っていたのに、それが叶わないなんて。絶対に断ろうと心に秘め見学を終えました。結局、初めて外出した印象は病院への帰り道ドライブスルーで食べたハンバーガーが美味しく感じたことです。