恩師のご著書「思いの中に生きる」より
「感謝する」とは
先の続き・・・
腹立つことも人間の心の苦しみですね。
いつもお話しします『心の砂袋』、私たちの心の砂袋、その砂袋の材料です。
怒りとか、妬みとか、そしりとか、愚痴とか、あるいは恨んだり、憎んだり、
いらぬ取越し苦労したり、また不安とか恐怖。不安・恐怖はあまり楽しくないでしょう。
あれは砂袋の材料です。
そして、そういうものを心の中へいっぱい詰めてしまいますと、心が重くなります。
ところが感謝しておりますと、そういう砂が入ってこないのです、自分の中へ。
感謝で心を満たしている限り、二つを同時に思えませんから、
ただ感謝だけですから、他のものが入れないのです。
ということは、自分の心が曇る量が少なくなるのです。
「有難い」「結構や」「何と幸せや」、そういう思いを常に持ち続けたら
他の想念が入れませんから、
その人の感謝を続けた時間だけ幸せな時間が与えられるということですね。
そして、心が「結構や、結構や、ああ結構やないか」といって結構に満たされておりますと、
その人の感謝を続けた時間だけ幸せな時間が与えられるということですね。
そして、心が「結構や、結構や、ああ結構やないか」といって結構に満たされておりますと、
こんどは肉体も結構になっていくのです。
肉体が結構になるということは健康になることです。
病気が消えていきます。
何故かと言いますと、「肉体の支配者は己の意識なり」と説いていただいています。
自分の肉体を支配するのは、自分の心だということですね。
肉体の支配者は己の心。
その心が「結構や、結構や」と言っておりますと、支配者が「結構や」と言っているから、
その家来である肉体も結構になっていくのです。
また同時に、今度は環境が結構になります。
環境が結構になるということは、商売は繁盛する、家の中はうまくいく、
そして人からかわいがってもらえる等です。
感謝ということはものすごい功徳があるということですね。
この功徳を説きますと、「ア、そりゃ現世利益や」と、言われるかも知れませんが、
まあ何と言われようと構いません。
要は幸せになることです。
幸せになれない信仰、幸せになれない教えでしたらしない方がましですね。
そんな簡単なところに幸せになる「法」がちゃんと与えられていたのです。
それに気付くことができなかった。
この「法」とは、そういう真理、隠された真理が現象に現れるのです。
ですから、思いはこのように持たなくてはならない。
常に他を生かす、あるいは喜び・感謝の心を持つこと。
これを今様の言い方をしますと、プラス・マイナス、プラス思考あるいはマイナス思考。
常に心はプラス思考、プラスの考えの方に向けておけばいいのですね。
マイナスの方に向けますと、やがてすべてがマイナスになってしまいます。
~ 感謝・合掌 ~