恩師のご著書「思いの中に生きる」より
「先祖供養」について(その2)
子供が素直で、親の言うことを聞いてくれて、どうにか一人前に成長してくれて、
幸せな家庭をもってくれたら、親にとってそれ以上の幸せはないのです。
親という立場にならせてもらえば、親の幸せは子の幸せの上に乗せてもらえるのです。
子供が不幸だったら、絶対に親は幸せになれません。
子供の幸せの上に親の幸せを乗せてもらえるのですね。
そして、自分が苦しいから、自分が辛いからといって、
「先祖さんに一生懸命供養したら助かる」と思って拝む方があります。
あれは本末転倒、反対です。
私たちは子供の幸せの上に親の幸せを乗せてもらうように、
私たちの幸せの上に先祖さんの幸せを乗せることができるのです。
「先祖供養」は、まず私たちが救われないと、先祖さんを救うことはできません。
自分が幸せになってこそ、その幸せの上に乗せることができるのですね。
幸せを乗せる、自分の幸せによって先祖さんに幸せな思いを与えられるということは、
先祖さんが救われることになるのです。
あるお宅へ、これも困ったお宅へ寄せていただいたのですが、大きなお宅です。
もう、奥から十畳十畳八畳六畳と四つぐらい並んでいるのです。
その奥から二番目の部屋ですか、仏間がありまして、立派な仏壇が祀ってあるのです。
そこで足の不自由なおばあちゃんが拝んでいるのです。
そこの当主の方は脳血栓で半身不随、おばあちゃんは足が悪い。
私は一番奥の間へ通していただいて、そこで話しを聞いておりましたら、
そのおばあちゃんが隣の部屋で一生懸命拝んでいるのです。
「ご先祖さん、私の息子の不自由な身体をどうぞ治してやって下さい。
それから、私の足もどうぞ治して下さい。
それから、孫の誰やらもこんなことで困っております。
どうぞ助けてやって下さい」と、何と頼むこと。
そればっかり唱えて、一生懸命一時間拝んでおられました。
~ 感謝・合掌 ~