少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (4) 重症ベッドが潤沢にある世界

2021-02-11 01:38:35 | 日記

 (2)で、重症ベッドが圧倒的に足りていない状況を、(3)では、そのことが巡り巡って、民間病院が手を上げれない本当の理由になっていると考えられることをお話しさせてもらいました。

 重症ベッドが確保できれば解決ですが、現実は十分に確保できず、確保できる見通しもありません。これは現状のシステムでは今が限界であることを示しており、覚悟を持って、どこかシステムを変更しないとこれ以上の重症ベッドはつくれないということだと考えます。

 システム変更には痛みを伴います。でも本当にそのことで状況が大きく改善するならば取り組むべきでしょう。痛みを伴ってでも、システムを変えてでも重症ベッドを確保したほうがよいのか。本当に覚悟を持って取り組む価値があるのか。それを知るために、重症ベッドが今よりも潤沢にある世界を考えてみたいと思います。

 先の(3)で例に上げた民間病院は、せっかく患者さんの重症化の危機を察知しても重症ベッドを持つ病院へ転院させることができなかったわけです。しかし、仮に十分な重症ベッドがあれば、そのようなことは起こりません。具体的に、現在と変わる点はただ一点。「中等症までの入院施設において、入院患者さんの重症化の危険を察知したら、速やかに重症ベッドを持つ病院に転院ができる」というただその一点が変わるだけです。それが重症ベッドが潤沢にある世界です。ただその一点の変化だけで、コロナの診療環境、世界はどう変化するでしょうか?どんな世界ができるのでしょうか?

 

 まず、民間病院の手が上がるようになります。「でも風評被害が心配なんでは?」と思う人もいるかもしれません。もちろんコロナ診療に伴う風評被害の心配はなくならないでしょうが、自院で重症患者が転院もさせれずに亡くなった、ということへの風評被害は心配しなくてよくなります(こちらの風評被害は病院として致命的です)。重症者は適切に転院させることができるわけですから、そんな悲しいことは起きないわけです。

 コロナ診療に伴う風評被害だけであれば、それは一時的なものです。コロナの流行が終われば、なくなります。むしろコロナ診療をすれば、「あそこの病院は逃げなかった」という信頼と名誉が地域に残ります。それこそプライスレス、医療をしているものの誇り、なによりの財産です。その病院は、跡取りがいる限り、地域に受け入れられ続けるでしょう。医療者にしてみれば、自院の医療に集中して邁進すればいいとわかれば、感染防御という困難だって、立ち向かう意志に火をつけるガソリンになります。そもそも医療を志した医療者なのです。この状況でできることがあれば、参画したいに決まっています。火事場から逃げる消防士がいないのは、高い志もあるでしょうが、消防服を着ていることが重要でしょう。消防服がなければ、いかに高い志があったところで、火から遠ざけられるはずです。民間病院にしてみれば、今の状態では、消防服もない状態で火事に飛び込めと言われているのです。消防服がないことを言うと、志はないのか?と斜めの角度から批判を受けているわけです。消防服を与えられて、きちんと援護してくれるなら、目の前で燃え盛る炎にだって飛び込める意志は持っているのです。そして、困難と闘ったことを、なんなら孫の代まで病院の歴史として語り継ぐでしょう。各種補償も行政から支給されて、収入の心配も要りません。ためらう理由はありません。

 私は、次々に手が上がると思います。そのことに楽観的です。重症になるまでは自分の病院で診る、というのはこのコロナで初めてやることではなく、それこそがここまで日本が作り上げてきた医療の形で、民間病院にとってとても自然に受け入れられることだからです。得意分野なのです。ですから、重症者の転院さえしっかりできれば、中等症までの入院施設は驚くほど速やかに十分に確保できると思います。行政もベッド確保には惜しみなく予算を割いていますから、たくさんの入院施設ができると思います。患者さんも近所で入院できるようにもなり、今のように遠方まで保健所などが患者さんを運んだりすることも少なくなり、保健所業務が減るという副産物もついてくるでしょう。

 さらに、すでに中等症までの入院を受けていた病院は、受け入れることができる入院患者の人数を増やすことができます。重症患者を自院で診なければならなくなったとき用にスタッフを確保しておかなくてよくなるからです。中等症の入院患者さんにすべてのスタッフを向けることができるのですから。

  中等症のベッド状況が改善することで、入院待機者も減り、保健所業務は圧倒的に軽減されます。保健所は疫学調査に力を入れる余裕が生まれます。疫学調査は感染者数を減らす武器です。調査がしっかりできれば、感染者数も減るでしょう。

 

 そして、こうしてやっと、入院することもできずに亡くなる、という人がほぼいなくなるでしょう。よっぽどの激症化の人でない限り、そういう事態がなくなります。最初に提示した、無念の医療崩壊の状況をほぼなくすことができるということです。

 

 それにしても不思議に思いませんか?「重症患者の転院がとどこおりなくできる」たったそれだけで、なぜこんなに変わるのでしょう?(変わると思えるのでしょう?)

 理由はいくつか考えられますが、大きいのは、重症ベッドを確保さえできれば、もともと日本が作り上げていた医療体制にのっかることができるからだと思います。本来の日本の医療体制の強みを活かすことができるようになるからです。今は日本の医療体制の強みが消されてしまっています。

 もともと、先の(3)で書かせてもらったように、重症患者さんは大病院で、そうでない患者さんは地域の病院で、と厚労省の政策誘導で住み分けがすすんでいたわけです。そして、病診連携といって、各病院間を連携させるシステムが機能するように作られていました。その連携システムにのっかって、地域の病院から大病院まで、それぞれの病院が補い合いながらそれぞれの特性を活かして、それぞれが最大限の実力を発揮するようになっていました。

 ところがこのコロナ診療では、重症ベッドが少ないことで、この病診連携の流れが滞り、強みである連携システムがほぼ破壊されたような状態になっています。重症ベッドのところがボトルネックとなり、渋滞を起こして機能不全になった高速道路と同じような状態になっているわけです。このボトルネックが解消されれば、すなわち重症ベッドを確保できれば、この病診連携が息を吹き返し、本当の日本の医療の底力を感じることができるようになると私は思います。官民が一体となった自信にあふれた、日本の医療施設配置の強みを存分に活かした我が国の医療体制が戻ってくると思います。

 

 どうお感じでしょうか?何と言っても国難です。私は、日本の強みを活かした医療体制を回復させることを最優先にしては、と考えます。

 だから、たとえ痛みを伴おうとも、覚悟を持って、システムを変更してでも、重症ベッドを確保しにいくべきではないかと考えるものです。

 その覚悟の上で、私の考える、若干のシステム変更をともなう、重症ベッドの確保案を申し述べたいと思います。


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