さる報道番組で、近畿の有名大学病院の院長がリモート出演していて、数床しかつくっていない重症病床を、ここから2床増やすことがどんなに大変なことか、とニヤニヤしながら語っているのを見て、なんとも表現できないような虚しい気持ちになりました。あの病院でコロナ診療を担当させられているスタッフの大変さを想像しました。
1000床近い病床数を持つ病院が、重症病床を数床しかつくっておらず、たったそれだけでさも協力しているかのように誇らしげにテレビ出演し、あたかも現場で働いているもののように苦労を訴える。コロナ診療を貧乏くじとしか考えず、使命感等とは程遠いところにいるこの院長の下でコロナ診療をさせられているスタッフたちの苦労が容易に想像できました。挙句、増床してもわずか2床です。病院長である彼の力をしてできることはもっとあるはずです。
(そのことについて、今年の2月に「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (1)~(9)」に記載させていただきました。もしお時間がありましたら、その中でもとくに、今年の2/13から15にかけて掲載した「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (5)重症ベッドを作れる巨大施設」 「(6)重症ベッド100床の箱」「(8) 大学病院の実力」に目を通していただけると、大学病院への私の期待と、厳しい言葉を投げてしまう理由がわかっていただけるのではと思っています。もしご一読いただけたら、望外の幸せです。)
このコロナへの、医療界の対応の仕方に、私は驚いていますし、信じられない気持ちです。それと同時に、周囲(国などの行政や政治など)がそれを許し続けていることにも驚いています。一般の人の声も上がってきません。
なぜなのでしょうか?
最近思ったのは、大変だ、大変だ、と言ってはいるものの、実は、行政も含め世の中は、この疾患を重大な病と捉えきれていないのではないか、ということです。
この新型コロナウイルス感染症は、大多数の軽症の患者にフォーカスを当てたり、若者に焦点を当てれば優しい顔をしていて(しかし、これからは変異株がそれをゆるさなくなっていくでしょうが)、重症者を切り捨てる(まさに今の方針)ことを密かに選択すれば、まるで世の中が問題なく回っていくような錯覚を起こす、厄介な側面があります。
だからオリンピックをやろうとしたりもするし、外国からの入国制限も甘いままにして変異株も侵入させるし、医療体制がすでに医療崩壊をおこしていても見過ごして許されているのかも、と思いました。どこかやはり対岸の火事なのかも、、、
このコロナという疾患は、果たしてそんなに甘い対応でゆるされる疾患でしょうか?怖さだけを強調するのはパニックを煽るようでいけないことですが、目を閉じて見ないふりをするのもいけないことでしょう。疾患の怖さは、きちんと事実として把握しないといけないのではと思います。そのことが、対岸の火事ではない、と意識を現実に引き戻すことになり、惨事を未然に防ぐ力になるのかもしれない、と思うようになりました。
続けたいと思っています。
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