未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

米沢

2016-07-28 03:10:29 | 紀行

もう随分と前の話ですがGWに米沢にいってきました。せっかくのブログなのでたまにはそういう日記もいいかなぁとおもい書く次第にござります。

私は歴史を感じられる日本の街が好きなのです。東北でいうと、これまで、平泉、仙台(松島)、山形にはいきました。盛岡、秋田、青森もいったことはあるけど、そっちはカープやaikoの遠征ついでであり、「目的地」ではなかったんですよね。今回は米沢と会津が目的地です。

米沢といえば上杉ですね!なぜかというと、江戸時代、米沢藩の藩主が代々上杉氏だからです。上杉といえば高名な上杉謙信公ですが、景勝の代になって、秀吉の命令で越後から会津120万石に加増移封され、関ヶ原で三成方にくみして負けて、米沢に減封されました。以来、米沢は代々上杉氏の藩になるわけです。 

で、この米沢藩の上杉氏。景勝の後、定勝、綱勝と藩主が世代交代していくわけですが、綱勝が跡継ぎがいないままに急死してしまうんですね。それで、米沢藩はお家断絶の危機に陥ります。そこで出てくるのが、綱勝の妹が嫁いでいた吉良義央との間の子。これを「末期養子」(跡継ぎがいない緊急事態になってからの~!縁組しちゃう養子)として、幕府に認められました。これが綱憲。当時2歳だったそうです。で、その実父である「吉良義央」。これがかの有名な忠臣蔵で四十七士に斬られてしまう吉良上野介です。こうして男系は断絶してしまうのですが、その後、吉憲、宗憲…と続き、9代目に高名な上杉治憲、「鷹山公」として名高い名君が出たりもして、そして明治に至っています。 

そしてそしてそして米沢といえば伊達政宗公生誕の地でもあります。1986年のNHK大河ドラマ、その視聴率は大河ドラマ史上現在でも破られていない歴代1位な「独眼竜政宗」をご覧になった方は覚えていますね!第1話、北大路欣也さん演じる伊達輝宗が米沢城で「産まれたか!」ってやってたでしょう。もっとも、伊達氏はその後紆余曲折(ほんとうにw)を経て、仙台に城を築いてその礎を築くことになるので、伊達といえば仙台なんですね。で、米沢は今も伊達というよりは上杉推しのようですね。 


そんなこんなで、せっかく米沢にいくのであれば、GWがお勧めです。なぜかというと「上杉祭り」というのが米沢で毎年GWに開かれているからです!えーと、4/29が上杉謙信公の命日だそうなのですね。で、4/29からスタートして、フィナーレが5/3の「川中島合戦」なわけだ。 

というわけで今回もひとりたび。ひとりたびはいいよー。自分のいきたいときに、いきたい時間だけ、好きなようにできるから。というか、ひとりたびの良さを知ってしまうと、彼女と旅行とか、友だちと旅行とかって考えられなくなってしまうのが良くないです。非常によくない。だってさ、彼女と旅行とか十何年前とかに何度かしたことあるけどさ、屋久島とか。スキーもいったな。絶対喧嘩するじゃんね!するんだよこれが。お互い遠慮がないからね。 

まぁ、もう一生彼女とかもできないだろうからいいんだけどねorz 


というわけで、せっかくなので日記に残そうと思います。写真を中心に、遠い記憶を呼び覚ましながら…(´Д`) 



旅のお供は愛車のソウルレッドなCX-5。買って2年。もう20000kmを突破したよ! 

 

↑東北道お約束の宇都宮餃子 

  

みえません(・ω・) 


GWだったけど東北道は順調。8時くらいに出て昼くらいには米沢に到着。 

      

米沢駅。米沢って山形新幹線の停車駅なんだねー!ちょっと甘く見てたよ米沢。



米沢駅では「花の慶次」な前田慶次郎がお出迎え。慶次郎、「利家とまつ」では及川さんが演じてましたね。駅前には早速「米沢牛」のお店が。じゅるる。 

米沢駅近くのホテルをとってたので、そこにクルマをおかせてもらって、基本徒歩の米沢散策のはじまり。とりあえず、「上杉神社」「米沢市上杉博物館」を目指す。ここはかつて米沢城があった場所で、天守閣はないのですが、公園として整備されているそうですよ。 



途中にあった源義経ゆかりの古刹【正應山 常信庵】とやらをパチリ。義経に従った佐藤兄弟の菩提を弔うためのお寺だそうな。東北地方にはいわゆる「義経伝説」ゆかりの寺社が多いですね~。ロマンですねー(´∀`*) 


さらに歩いてゆくと何やら… 

 

「松川河川敷」っていう最上川の河川敷で今夜の上杉祭りの「武蹄式」のリハーサルに遭遇。せっかくなので野次馬してパチリ。 

>武蹄式とは上杉謙信が戦に出陣する前に必ず行っていた儀式で、信仰している毘沙門天を勧請し戦勝を祈願するものである。 
>上杉祭りでは川中島合戦の時の武蹄式が再現されている。 

―wikipediaより。 

これがこの日の夜に行われるそうですよー。せっかくなので夜に見にこよう(・∀・) 

…さらに歩をすすめて「上杉神社」に到着。 

>上杉神社(うえすぎじんじゃ)は、山形県米沢市にある神社。松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る。 

―wikipediaより。 

謙信公は越後春日山城で亡くなり、遺骸は場内に祭られたのですが、上杉景勝の代になって会津、米沢と転封になったので、この謙信公の祠堂も米沢に移されたと。それが「上杉神社」です。 



米沢第9代藩主、上杉鷹山公の銅像がありました。鷹山公は小泉純一郎元首相が大好きなので有名ですねー。米沢藩の財政を立て直して、「江戸時代屈指の名君」として知られているお殿様です。 

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」 

とは、上杉鷹山公のお言葉として有名です。まぁ、私はあまり鷹山公には興味がないのでややスルー気味。 

 

で、これが謙信公の祠堂跡。江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂が建っていた場所だそうです。大河ドラマ「天地人」では、ドラマのあとの歴史紀行みたいなコーナーで紹介もされていた記憶があります。今では観光名所ですが、当時はきっと神聖な場所で、私みたいな一般ピープルはとてもとても入れなかった場所なんだろうなーと思いますですよ。 

 

上杉神社の神様は上杉謙信公。行列だったのでお参りはせずに次の目的地へ。 



米沢市上杉博物館。特別展で国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の原本が展示されていました。狩野永徳の筆によるものですよ。 
天正2年に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、以後米沢藩上杉家に伝来したという由来を持ちます。これは貴重なものを見られた! 
そのほかの展示は、米沢の上杉氏と伊達氏のものが中心。室町から安土桃山~江戸期あたりの流れがわかる書状とかが多くて、それなりにはおもしろかったです。昔は書状を人が運んで情報をやり取りしてたんですねぇ。 

 

米沢のゆるキャラ。近頃はなんでもゆるキャラですね。「かねたん」「かげっちさま」「おせんちゃん」だって。直江兼続、上杉景勝、仙桃院さまですねー。仙桃院さまってわかる?謙信公の姉で、景勝の実母です。「戦国無双」にも出ちゃうくらい有名だw 
謙信公はは実子はいなかったんです。なので甥っ子の景勝か、北条の養子の北条三郎(上杉景虎)かで跡目争いが起きたんですね。 



…上杉博物館を見て、もう夕方。ぎりぎり時間がありそうだったので、歩いて「林泉寺」を目指すことにしました。ここは上杉家・直江兼続の菩提寺で、上杉家の奥方や支侯家、多くの家臣たちの墓所があります。 
徒歩だと結構あるんですよ。そう、米沢はバスも電車もタクシーもないから全部徒歩で回ったんだけど、これがすっげー歩いた。けど、米沢でいちばん印象深く残りそうなのが結果的にこの林泉寺だったので、いってよかったと思います。 



途中あったこれが「旧米沢高等工業学校本館」。山形大学工学部にあり、国の重要文化財だそうです。全国7番目の高等工業学校として開設されたとのこと。 



そして到着しました「春日山林泉寺」。 

もう夕方だったこともあり、観光客もほとんどおらず、閑散としていました。到着して、拝観料を払って、玄関で履物をスリッパにかえて上がらせてもらうと、案内人の人のよさそうなおじさんが。ご本尊のところで、チーンを鳴らして、お線香をあげてくださいと。 

私は不信心なもので、あまりそうした心得はないのですが、まぁ由緒正しきお寺ですから。正座してチーンしてお線香をあげて目を閉じてしばし拝んで精神集中。のあと、このお寺の歴史や、ここにある仏像その他にまつわるいろんなこと、拝観順路などについてとても丁寧に説明をしていただくことができました。

まず、「第一義」と大書された文字が掲げられているのですが、鏡に写したように反対なんですね。これは何かというと、春日山の林泉寺の山門にある「第一義」の扁額を墨で写し取ったものであると。これが不識庵謙信公の直筆によるものなのだそうです。 

その脇に「輝虎」と読める文字が書いてあって。 

案内人「なんと書いてあるかわかりますか?」 
私「『輝虎』ですね」 
案内人「そのとおりです!なかなかすぐに答えられるひとはいないんですよ」 

…お世辞うまーい(・∀・) 

そう、「謙信」って名前がいちばん有名ですが、最初は「長尾景虎」という名前で、後に関東管領上杉憲政の「政」の字をもらって「政虎」。その後、室町13代将軍義輝の「輝」の字をもらって「輝虎」になったのですね。達筆なので、これを知らないと「輝虎」とはなかなか読めないのだ。 


扁額の説明の後は、謙信公が7歳の頃から拝んでいたという毘沙門天の像があそこにありますから後で見てください。その奥には、林泉寺歴代の位牌がありまして、そこに謙信公の幼少からの師匠であり、謙信公がとても尊敬していた林泉寺の住職、8代目という意味で「八世」の「益翁宗謙禅師」という方の位牌もあるので見てください。その奥には長尾・上杉両家の霊牌堂。歴代の長尾家・上杉家の当主とその正室の奥方様の位牌があります。 

…という調子で。 

そう、謙信公はこの八世の宗謙禅師をとても尊敬していたので、その「謙」の字をいただいて、「謙信」と号したのです。 



これがなんというか、さすがというか、ものすごい「歴史」を感じさせるものばかりでしたよね。きれいな平成にできたような博物館とか、観光地のちゃちな「宝物館」とかではちょっと感じることのできない重さみたいなものをすごく感じたのは、やっぱりこういうのは見る場所、どこでそれを見たか、というのに強く補正されるものなのでしょう。 

境内には、お寺なので高名なひとたちのお墓がありました。 



↑こちらは、直江山城守兼続公夫妻のお墓。奥さんは「お船の方」といいますね。「天地人」では常盤貴子さんが演じていました。 



↑こちらは、謙信公の姉上で、景勝公の母上であらせられるところの仙桃院さまのお墓です。 

 

ここはきてよかった。まぁ、1回くればもういいですが、米沢にきたら是非足を伸ばしてもらいたい場所ですね。 



そして夜。先ほど、お祭りの練習をしていた河川敷では、「武蹄式」の本番のお祭り。翌日のクライマックスフィナーレ「川中島」の前夜祭みたいなものでしょうね。謙信公が、川中島の妻女山で、武田方の「キツツキ作戦」を察知し、先手を打つために夜のうちに八幡原へ打って出ようと。その出陣の前の儀式を再現しているそうです。 

 

まぁ、このへんはお祭り。柿崎とか宇佐美とか直江とか。吉江とか水原とか甘粕とか。上杉の家臣の旗指物をさした鎧武者が、謙信公から聖なる水をかけてもらって…みたいな儀式をやって、壮大な音楽と一緒に出陣していきますよー的な。

これ、毎年やってるそうですね。で、誰々の役は今年は隣の山田さんのご主人だそうですよ!とかってなってるみたいでw 
いいんじゃないでしょうか! 




旅行の楽しみご当地グルメは米沢牛のステーキかすき焼きか!とかにしたいところでしたが○千円とかするので、地元系っぽい居酒屋ですますことに(苦笑 
それでも、牛鍋みたいなのを頼んで。米沢牛だぜーーーーー!気分を味わうことができました(・∀・) 



―ホテル泊まって2日目。 

この日は午前中に米沢を発って、会津を一日回ろうかなというつもりではあったのですが、ここまできたら上杉祭りの本番の川中島合戦を見てこうかなと思って、お祭りの終わる夕方まで米沢にいることにしました。 

上杉祭りは午後からなので、河川敷の特設駐車場にクルマを置いて、さらに米沢散策。 


歩くと結構な距離があるのですが、上杉家の廟所にいくことにしました。 

 

↑河川敷では本番に向けて練習中w 
こちらは赤備えの帝国軍だ! 

米沢の高校生が駆り出されてやってるみたいで。女子高校生が槍とかもって「わぁーーーーー!」って合戦してるのが可愛い(´∀`*) 



米沢市内ではこんなパレード。アスファルトの道路を騎馬武者がカッポカッポ歩いたりしてなかなか壮観。 


そんなのを横目に見つつ到着しました上杉家廟所。 

 

こちらは米沢藩歴代藩主の墓所です。謙信霊廟を中央にして、その左右に歴代藩主の霊廟が厳かに立ち並んでいます。 



―二代景勝から八代重定までは、火葬での埋葬が行われ、御堂は入母屋造りの建造物である。さらに九代治憲から十二代斉定までは土葬となり御堂も宝形造りとなっている。 

wikipediaより。 

「九代治憲」は鷹山公です。 

 

立派な太い木が林立していますが、これもかなり伐採されてしまっているそうです。昔はもっと深い深い木立の中にあったのでしょう。世が世なら、私みたいな一般ピープルはとてもこれないような場所なんだろうなぁ、と思いますね。 


相当歩いて疲れてたので、ちょっと「乗り鉄」をしてさっきの河川敷に戻ろうとおもい、「西米沢駅」へ足をのばしてみました。 

 

やっとついたーーーーー 



時刻表を見ると…次の電車が2時間40分後! 


だったので、また結構な距離を歩いて戻ることに。タクシーとかバスとかあればいいとおもうじゃん!これが全然ないのです。東京に慣れてしまうとこういうときに困りますねー 


そしてそして上杉祭り本番!「川中島合戦」だ! 

 

うおおおおおお 



ババーン! 



どどーん! 

     

わあああああああー! 

 

↑やられたぁーーーー 



…というわけでとてもおもしろかったですww 




余韻を引きずりながら一路会津へ。国道121という山道をひたすら南下~して90分くらいかな? 



喜多方によって喜多方ラーメン。有名な「坂内食堂」にいってみましたがもう閉店。喜多方のラーメン店はスープがなくなり次第閉店です!っていうので、週末は夕方にはもう閉まっちゃうみたいですねー残念!ここは学生のときに、クルマの免許とれたーー!ってんでドライブがてらきたことがあるんです。懐かしい味をもう一度食べてみたかった! 

なので食べたのは「来夢」とかいうどこでもありそうなチェーンのやつね。東京でも食べられそうな味ですが、そこは地方補正だ! 

 

会津若松城。もう日が暮れていたので中には入れませんでしたが。 
ここは「八重の桜」のお城ですねー。そして私くらいの世代だと年末時代劇スペシャル「白虎隊」でおなじみのお城だ。戊辰戦争で官軍に包囲されてね。アームストロング砲をくらいまくって。ぼろぼろになった落城後の古写真が今に残っています。いまはコンクリートのお城だけど、きれいなお城ですね。夜はライトアップされていて、いいムードです。先日、「ブラタモリ」でタモさんが散策していましたね! 



 

「萱野国老殉節碑」。 

―萱野権兵衛長修は国家老として内政の責任を担っていた。(中略)その結果、藩主は死を許されたが、戦争責任は家老田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛にあるとされ、田中、神保は既に死亡しており、萱野権兵衛のみがその罪を一身に背負い切腹した。この碑は昭和9年、有志の手によって建立された。 

とあります。萱野権兵衛、「八重の桜」では、柳沢慎吾さんが演じていましたね。これが気の毒でねぇ。最後の切腹のときは「あばよ!いい夢見ろよ!」って笑って切腹したらどうしようと思いましたが、ちゃんと切腹しました(当たり前だ 




そうですね。やっぱり、米沢は歴史が根付いている街だなあと思いました。「上杉謙信公」「景勝公」「直江兼続公」ね。土地のひとが、ずーっと尊敬している。さすがは城下町です。いつかタモさんも「ブラタモリ」で来るとよいなぁと思うような街。 

上杉といえば、先日、aikoの山梨公演で甲府にもいきました。「武田神社」にいけてないので断ずるのは早いのかも知れませんが、甲府には米沢ほどには「武田家」を感じることはできなかったんです。やっぱり、武田家は勝頼の代で滅亡してしまっているので、江戸の幕藩体制の中で「歴史」が積み重なっていないっていうのがやっぱり大きいんだろうと思います。 

城下町といえば、私が住んだことあるのは広島市ですが、ここも毛利氏(輝元)や福島正則公や清盛公はじめ平家の皆さんあたりが尊敬されているんだと思いますが、この米沢ほどには濃くはないですよね。「上杉祭り」みたいなお祭りもないし、こんなに厳かな廟もなければ神社も博物館もないし。まぁ、広島は原爆で何もかも焼けてしまったから、歴史のある、由緒のある寺社も何もかも吹き飛んでしまったのかも。広島城もあの日までは国宝の天守閣だったそうですからね。

そして、今回ちょっとしかいけなかった会津も、歴史が根付いている街だと思います。「八重の桜」みたらでてきたでしょ。藩祖保科正之公が遺した遺訓の十箇条。「ならぬことはならぬものです」ってやつ。今もその精神は「会津っ子十訓」というのに脈々と受け継がれているそうです。そして、うそかほんとか、会津と山口(長州)は今でも仲が悪いとか。 


振り返ってみると、我が東京。そんなに歴史を感じるような街ではないかなぁとおもうのですが、そんなことはないんですよね。さがせば身近にいくらでもあります。江戸の痕跡が。歴史というのは身近なものなんです。ちょっと近所に何かの碑とかがあって、調べてみるといわれのあるものかも知れない。やることがなく、ヒマだー!っていうときには、そういうのを探訪してみるのも楽しいと思いますですよ。ブラタモリみたいに古地図片手に!とか。 


7月はANAに乗りたいんだよねーaiko機内サービスがあるから!どこかにまだ行ってない、行きたい場所はあったっけなぁ、っていま、漠然とまだ行ったことのない、行きたいところを探しています。 




では、また。