会社は夏休みをいただいて、9/13~9/17まで家をあけていました。
CX-5で広島まで!
いろいろ寄り道もして、往復約2000kmになりました。
メインイベントは9/15のaikoの広島公演ですが、
他にもいろいろと書き残しておきたいようなことがたくさんあったので、
書いておきたいと思います。
…ということで番外編です。
■9/13(土)
出発して最初にいったのは関東マツダ西新井店。
エンジンオイルを替えてもらおうと思って。
独自のクリーンディーゼル技術はオイル寿命が短いのが珠にキズのようですよ。
ディーラーでは5000kmごとに交換してくださいっていわれていますが、
気になる人は3000kmごとに交換するそうです。
交換したところで一旦狭山の実家に行って父母を乗せる。
関越道川越ICから圏央道に入り、母方の祖母のうち…っていうか、
この夏から介護の施設に入ったので、そこに向かいます。
敬老の日だから、お祝いがあったのね。
100歳以上の人と、99歳(白寿)と、88歳(米寿)と、77歳(忘れた;)は、
賞状をもらえるんだって。
婆ちゃんは88歳。母は確か62歳。私が40歳だから、若くない?
昔は「静岡県小笠郡浜岡町」だったのだけど、今は「静岡県御前崎市浜岡町」です。
中部電力浜岡原子力発電所がある町ですよ。
圏央道厚木PAにて。
ご存知の方も多いと思いますが、ついこないだの6/28に、
圏央道の相模原愛川ICと高尾山IC間が開通しました。
これにより、圏央道と東名道がつながったことになります。
これ、所沢狭山入間あたりの人にとっては便利になったんだよね。
前は、関越道を練馬までいって一旦降りて、
「谷原」っていうめっちゃ渋滞する交差点を通って環八を南下(これも混む)、
東京ICから東名に乗っていました。
ぶっちゃけ、東名に乗ってから遠州につく時間と、
東名に乗るまで東京の道走る時間が半々くらいだったんです。
山手トンネルもできたからすっげー便利になったけど。
さっさと外環も繋がればいいのにね。
地元の反対がすごくてなかなかできないみたいです。
足柄SA。
aikoが大好きなメチャイケSAになってたw
なのでaikoにtwitterで写真つきリプ。aiko読んでくれたかな(´∀`*)
お昼に出て、到着は夕方頃。
夕日に間に合いそうだったので、ホテルにチェックインして、浜岡砂丘にいきました。
ここからの遠州灘はすごいぜ。ここの海に比べりゃ瀬戸内海なんて池みたいなもんです。
「この海をずーーーーっといったらアメリカだ( ゜Д゜)!」
って、もう今は天国の爺ちゃんに子どもの頃にいっぱい連れてきてもらってよくいわれた。
「戦争のときはこの海にアメリカ軍がずらりと船を浮かべてな!
おれらーは隠れて震えておっただ」
とかw
「ここの波は高いでな。よそからきたもんが泳いでさらわれて『どざえもん』がよくあがるだ」
とかw
冗談の大好きなおもしろい爺ちゃんだったので、話3割くらいに聞かないと…かもw
爺ちゃんは博識でね。なんでも知ってて近所の人から尊敬されてたんだぞ。
よく「高天神城」に連れてってくれました。
「高天神を制するものは遠州を制す!ってな、ここで武田勝頼と徳川家康が戦っただ」
ってね。小学生でもよく歴史がわかりました。
この遠州の方も、今はもう亡くなってしまったり、歳をとったりしてしまって、
なにかとひどくなりましたが、子どもの頃は、1~2年ごとの夏休みに、
新幹線でここに連れてってもらえるのが楽しみでした。
母親の実家なので帰省なんですが、当時は広島からだったから。
新幹線ひかり号に乗って、名古屋でこだまに乗り換えて、浜松で降りて…
今みたいに駅がたくさんなかったですよね。
広島の次は三原、福山。
子どもだから駅の名前を覚えるのも楽しいでしょ。
岡山、相生、姫路、西明石、新神戸、新大阪、京都、米原、名古屋…
どうでもいいですがここにはネコがいっぱいいました(´∀`*)
妹家族もきて、2番目のひ孫を初お目見えしたりして。
婆ちゃんもうれしそうでよかったです。
開口一番「嫁っこみつかっただか!」っていわれましたが(・ω・)
婆ちゃんが生きてるうちにaikoを紹介したいけどムリだろうな↓
■9/14(日)
翌日はその施設の敬老の行事をみてから、広島へ。
12:00に出たのかな。目標は21:00。ちょいちょい休憩しつつ、
東名から名古屋の湾岸の伊勢道?っていうのを進んで、甲賀の山を越えて山陽道へ…
甲賀はゆるキャラ忍者が。
大津SAは琵琶湖が一望できます。
姫路は官兵衛推しw
福山SAはセアカゴケグモに注意!
尾道ラーメンうまかったよ。
ここまでの長距離ドライブは初体験だったのですが、
けっこういける&そこそこ疲れるっていうのを体感しました。
今後の旅プランに貴重なデータというか経験値を得たと思います。
ほら、aiko遠征があるからね。
きょうび、軽油とはいえガソリン代も高いし、
高速道路の料金も休日割とかが縮小されたので、
1人でいくんだったら新幹線の方が安いです。平日だと休日以上に差がつく!
2人だったらクルマの方が安いでしょうか。
けど、クルマのいいところは時間の制約がないところ。
そして自由にどこでもいけるところ。
終電はないし、線路がないところもいけます。なんなら車内泊もできるよ。
今回は出番なかったけど↑こんな風にマットを敷いたらいける!たぶんw
それが大きな魅力ですよねー(´∀`*)
とはいえ前のデミオだったらクルマで行こうとは思わなかったです。
CX-5は「遠くへ出かけたくなるクルマ」なのです。
いいクルマだよー(´∀`*)
広島についたのは夜。だいたい予定通りでした。
「広島高速」ってのがあってね、市内までちゃーっと高速でいけて便利。
広島も高速道路やバイパスが整備されて、アストラムラインとかもできて、
いろいろ便利になったよねー
広島市内の道は、正直ちょっと怖いですね。
道が広くて3車線とか4車線とかあるでしょ。
それに碁盤の目のようになってるから交差点が多い。
その上に路面電車やバスやタクシーがガンガン走ってて、一般車はみんなスピードが速いw
まぁこれも慣れなんだと思いますけど。
東亜地所の看板。広島も昭和50年代からしたらだいぶ変わりました。
けど、変わっていないところもあります。変わっていない=私にとっては懐かしいのです。
国道2号線の、前に住んでたあたりを走ったりしたときは、なんか不思議な感覚。
子どもの頃に住んでた町を、大人になってクルマで走ってるよーっていう。
今回のホテルは中電前にある「コンフォートホテル広島大手町」に連泊。
1泊6000円、3泊で18000円。
初めて泊まるホテルだと思っていましたが、
ホテル側の記録によると2008年に泊まったことがあるって。
振り返ってみたら、市民球場のラストイヤーのときに泊まったんですねー(ノД`)
そう、広島についてまず行ったところは、その市民球場の跡地でした。
矢も盾もたまらずってやつね。
道すがら、平和公園を通りますね。
夜の原爆ドーム。
レストハウス。これも被爆建物。被爆当時は「燃料会館」という建物だったって。
他に私がよく見る被爆建物は、市役所~本通の間の旧日本銀行広島支店と、
本通にあるアンデルセンですね。他にもいろいろあるのですが、
あまりいかないほうは見たことない。
夜の平和公園は人通りがあまりなく、すごく静かです。秋の虫の声しか聴こえない。
広島の小学生の遠足の定番は平和公園なので、そういうことも思い出しますが。
やっぱり、私も県外の人間なので、そうしょうっちゅうはこないわけじゃないですか。
歩きながら、いろいろと思いをめぐらすところがありますよね。
子どもの頃は、なんでこの建物だけこんなぼろいのにいつまでも建て替えないんだろう、
って不思議に思っていました。母に「なんでこれだけぼろいの?」ってよく訊いてた。
そのたびに「大人になればわかる」って言われていました。
母は遠州の人なんで、広島のこういう歴史にはあまり興味がないみたいなんですね。
まぁ、大人になったら、そこにこの建物が永久保存されている意味はわかったので、
母の言うとおりだったのですが。
広島市民球場は何もかもなくなっていました。
この碑だけは、当時の面影を残して。
セントラルリーグ優勝5回、日本シリーズ優勝3回ね。
最後に優勝したのは1991年。以来23年間優勝から遠ざかっています。
子どもの頃はAクラス優勝争いの常連、常勝の黄金時代だったカープも、
いまや12球団で最も優勝から遠ざかっているチームになってしまいました。
それでも(だからこそか?)熱いファンが多いのはありがたいことですね。
↑前はこんなだったのですが
野球のある日は、広島の街はカープのユニを着た人たちでいっぱいになります。
まぁ、狭い平野にぎゅっとしてる街だからそう見えるっていうのはあると思いますが。
広島はそういう街なんよ。
広島市民球場の思い出というのは、私にとってはかけがえのないものです。
記憶のあるかどうかわからないくらいの子どもの頃から、大人になってから。
野球といえばカープ。
いや、野球といえば、というよりも、もっと大きい存在だと思います。
東京みたいにいろいろあるわけでもなし、プロスポーツといえば野球しかなかった。
ここでたくさんの伝説が。それはそれはもう数え切れないくらいの!
そして思い出がたくさん詰まっている場所でした。
それについて書きだすと日が暮れるので書きませんが、寂しかった。
一周しました。記憶にある在りし日の風景が走馬灯のようによみがえりました。
この市民球場跡地では、私が着いた日の翌日まで
「オクトーバーフェスト」というビールのお祭りがあったみたいでしたが、
行く気は起こりませんでしたねぇ。
マツダスタジアムもいいんですけど、代わりにはならないんですよね。
実家が、自分の住んだことのない街に引っ越した。
そこに行ったところで「帰った」感じが全くしない。
そこは「よその家」って感じです。そういう感覚に近いかも。
2008年のアルバムから。新築途上の広島新球場。
立派なスタジアムができましたよね。
日本全国探しても、こんないい球場はそうはないぜ、
っていうくらいいい球場ができました。
帰りにコンビニに寄ったらあったカープコーヒー牛乳w
キシモト乳業?です!
スポーツ元気丸っていう広島ローカルのスポーツニュース。
広島ローカルだからカープ推し。この写真は池谷さん。
子どもの頃にカープで活躍してた投手ですが、記憶はいまいちありません。
連続日本一のとき、江夏のときは小さすぎて覚えてないんよ。
■9/15(月)
この日はaikoの広島公演。
18:00開演なので、日帰りできるどこかにいくことにしました。
最初は広島湾を回って江田島に行こうと思っていましたが、
折りよく、由宇球場でウエスタンリーグ広島×中日戦が12:30からあることに気がつき、
急遽予定変更。
「由宇」というのは、カープの2軍のフランチャイズです。
前から行ってウエスタンリーグを観戦したかったんだけど、
クルマがないとつらい場所にあるし、
なかなか他の予定と合わなかったりで、ずーっとこれてなかった。
念願かなったり!
由宇練習場はここ。山口県にあります。
広島市内からは高速使えば約1時間、高速使わなければ1時間30分くらい…
ってところでしょうか。
朝8:30出発。のんびり寄り道しながらドライブして10:30くらいにつけばいいんでね?
くらいの感じで出発~
↑iPhoneカメラではこんなもんか。
見えないと思いますが赤い鳥居が映っているはずの写真w
宮島口あたりからパチリ。宮島は東京タワーよりもたくさん行ってるのでスルー。
小学生の遠足の定番は平和公園でしたが、高級になると宮島なんです。
これは岩国駅近くの踏み切り待ちでパチリ。古いローカルな電車が健在でございます。
山奥の道をぐにょぐにょ登って…到着~。
駐車場は1日500円。
かなりのスペースがあるやに見えましたが、私が帰る頃にはあふれかえっていました。
由宇にいく人は、11:00くらいまでにはいったほうがいいですね。
ブルペンでは何人かが投球練習。目をひいたのはやっぱり今村。
背番号「16」が見えるでしょ。彼です。
2009年春のセンバツ高校野球の優勝投手です。
決勝では菊池雄星を擁する花巻東高校と対戦し投手戦を1-0で制しました。
カープに1位で入ってリリーフでけっこう活躍してたんだけど、今は2軍。
ファンの期待は大きいとおもうので頑張ってほしい…
こちらは練習グラウンドでしょうか。ウォーミングアップ中。
やっぱり2軍は選手が間近です!
色紙をもった子ども達がいっぱい、選手たちを囲んでいました(´∀`*)
試合前の由宇球場の様子。
スタンドは席などなく、芝生に敷物を敷いて観戦します。
山奥だけど、お客は多かったですよ!
こんなモニュメントが。
1993年からってことは、由宇ができてからの歴代ドラフト指名選手の銅板かな?
スコアボードは昔っぽい深緑に白の手書きのパタパタひっくり返すタイプのやつ。
カープバス。大野の寮から選手を乗せて山を登ってくるんでしょうねー
コンビニすらない山の中なので、野球に集中して取り組むことができます!
日陰もないのでカープの選手は真っ黒に日焼けしてるよ。
あ、日陰がないからではなく、野球漬けの日々を送ってるからですね。
試合開始。ファームの試合は応援はありません。
ヘタなプレーがあればため息がもれ、いいプレーがあれば拍手!っていう。
こういう雰囲気いいよね。
しかし選手はプロですから、それはそれはうまく見えます。
環境がこういう草野球的な空気だから、余計にそう見える。
立派な球場と観客席とあのムードでやるプロ野球は、そういう空気だから、
選手がうまいのが「当たり前」に見えてるでしょ。
で、観客はエラーすればへたくそというけど、いやうまいって。
お前やってみろってよく思う。
日本の野球は世界のトップレベルですから、世界一うまい野球の試合を
観てるっていっても言いすぎではないとおもいます。
テレビの解説者が選手のプレーを上から目線でいうもんだから、
子どもやファンの夢が…っていうことになっていませんか。
要するになにがいいたいかというと、プロ野球選手はスーパースターなんです!
その中の超一流は神なんです!
っていうことだ。
試合は中村恭平-カブレラの先発で始まり。
1回表にいきなり堂上剛に3ランを打たれるもすぐに上位で1点返し。
2回にはスクイズで2-3…
5回までしか観てない(aikoがあるからw
そうそう東出や栗原がいました。東出は3塁についてノックを受けていました。
若手と外国人が主力の1軍が快進撃を続けているので胸中複雑だろうな。
上本はこの間の神宮でショート守りましたね。田中が怪我したので上がったのかな。
上本は明治大学時代から応援している選手です。
1年のときからショートでレギュラーはってね。とにかく守備がうまくて。
いかにも野球センスがありそうなタイプ。
↑明大時代に野村祐輔と一緒に書いてもらったサイン。
いいでしょー(´∀`*)
その前は広島の広陵高校。
やっぱりこの日に外野を守った土生とか、
1軍で活躍している野村とかと一緒に夏の決勝までいったけど、
佐賀北のがばい旋風にのまれました。
ストライクボールのきわどい判定があってね、その直後に逆転満塁ホームラン打たれてな。
あんときの広陵は優勝してほしかったなー(ノД`)
岩見くんもいました。
岩見投手は熊本工の出身。甲子園でその熊本工のアルプスから見たことがあって、
それでけっこう応援してるんです。
そういえば、そのときの相手は明徳義塾で、中日の中田選手もいたんですが、
その中田選手はこの日中日の4番に座っていました。
その日は横浜×京都外大西、涌井が延長10回を完封したり、
4試合目には東北のダルビッシュが投げたりして、
いま思えばいい日にいったなあと思います。
涌井すごかったよ。
灼熱の延長戦でなおも140km台後半をズバズバ低目に決めてもうシビレまくり!
…話が逸れた上に長い。
この試合は午後2時半くらいに切り上げていったんホテルに戻ってaikoへ。
aikoは日記書いたね!
「本通」からアストラムラインに乗って「白島」へいけばよかったみたいだけど、
ホテルから歩いていける距離に思えたので歩いていきました。
広島の街を歩いてみたかったしね!
広島城。
中国を制覇した毛利元就の嫡孫であるところの毛利輝元が築いたお城です。
秀吉の天下統一が近くなって、吉田郡山の山奥では不便な時代になったということで。
「広島」という地名になったのもこのお城ができたくらいからなんだとか。
その後、毛利輝元は関ヶ原で(というか大阪城にいたんだけれども)
西軍になったので、広島から防長2州に移され、
広島には家康に味方した福島正則がきました。
が、まぁ豊臣恩顧ってことがあったのか知りませんがイチャモンつけられて改易。
その後はずっと浅野氏が広島藩主になりました。
浅野は五奉行の浅野長政の浅野ですね。
もちろん仕事もできたのでしょうが、秀吉の正室の北政所の実家です。
日清戦争のときにはここに大本営がおかれたそうで、その址もありますよ。
その後も史跡になって国宝になったのですが、原爆で壊滅。
今はコンクリートのお城です。
広島は城下町として栄えたんだ。
小さなお城ですが、中心街から近いし、広島にきたらいってみるとよいよ(・∀・)
天守閣に登るといい眺めです。
長くなったので後編へ続く!
おやすみなさい~