お盆の真っ最中ですが、夢に故人が現れた方はどのように感じておりますか?
亡き祖母の母は、仏壇に何もないと「お腹がすいたからあげものを頼む」と言って夢に出てきたという話をよくしていました。祖母は養女でしたが、とても可愛がられて育ち「ばばちゃんが夢に出てきた」と数年に一度は話して慌ててお供えしていたのを聞きました。私は見たことがないのですが、故人が夢に出てくることは何か伝えたいことがあると思っています。
私の父は55歳で亡くなりました。私は23歳でした。一人暮らしでしたので、死に目に会えなかったのですが、母は玄関前の外で倒れている姿を発見しており、病院に運ばれた時には医師に、「くも膜下出血で眠るように苦しまず亡くなった」と聞いて安心したそうです。いつもは透析は自分で運転して病院に行くところ、その日は腕が痛いと母に訴えていたそうで、透析はタクシーで、帰りに紹介状を持参して帰宅するところでした。母はスナックを経営していましたが、店に着いてまもなく胸騒ぎがして帰ったので発見できたようです。紹介状を見ると、血液数値はどの項目も高く、生きていたら入院・手術しなければならないようでした。
腎臓が悪くなり透析を10年間して延命、週に3回仕事をしていました。
私は28歳のお盆の時、父を夢で見ました。父は鉄格子の向こうに座っていて赤いベストで金の刺繍入りの服をはおっていて床に赤飯やおかずの乗った皿がたくさん並べられ、おいしそうに食べていました。すぐ目の前にいるのに話しかけれません。すると父の声が頭の上から聞こえてきて「パパがたくさん食べれば食べるほど、銀行にお金が入るんだ・・」という声でした。
この夢を見たので母に連絡すると、母は「パパが生きていたら60歳だから還暦のお祝いをしてもらっていたんでしょう。だけど悪いことしていないのに何で鉄格子なんだろうね?」と言いました。「あの世だから何でもあるんじゃないかな?」と私は言いました。
「銀行にお金」という意味は全くわかりませんでしたが私は仏壇に、父が生前好きだったバナナ、ハム、チーズ、菓子などたくさんお供えし、期待しました。水分制限があったので水もたっぷりと。しかし、大富豪になるような金運ではなく、お給料が少しだけあがっただけでした。後々考えると、家賃を滞納することなく普通に暮らせていたことがよかったのだと思い返しました。
私は、3年おきにろいろな土地に住んできましたが、携帯電話に保存している動画に幽霊があとから入ってきたことがあります。元の動画にはなかった女性が映り込んでおりました。女性で髪の毛は茶色で枝のように分かれて床につく長さでした。白いレースのような服を着ていて、顔は半分しか見せません。綺麗な女性ですが瘦せていてほうれい線がくっきりとしていてこちらを見てちらっと半分だけ移ったり消えたり繰り返し30秒くらいです。
母にも動画を送りましたが、「亡くなっているひとだね」の一言で、動画は消したようです。私も、3か月間そのままにしていましたが、主人に見せて「わからないなあ」という感想でしたので人に見せたりするのは不謹慎なので削除しました。
動画を消してから約1か月後、ある朝乳児用のテーブルの台を見るとソバージュのくねくねの髪の毛が横に1本置いてありました。私は最初は目の錯覚かなと思いましたが、何だろう、ん?ともう一度よく見ると、見てくださいというように1本だけありました。その髪の毛はウェーブを伸ばすと50センチくらいにもなり、手でつまんで、一応主人に見せるために白い壁にセロテープで貼っておきました。
夜、主人に見せると「なんだろう」と不思議そうにしていました。当時は家族皆短く私もショートヘア、友人もソバージュヘアーがいないので思い当たりませんでした。
幽霊は怖いものではなく、存在に気が付いてほしいだけなのだと思いました。亡くなった人よりも生きている人の想念のほうが怖いものです。
最近思うのですが、幽霊ではなくても自分が夢中で行うことは、憑依と一緒では?と。
成功は見えていると面白さがなくなり、何かに憑依されなければ達成できないものです。例えば色をつけるゲームがあるとしたら、色を塗った部分が増えたら楽しく、塗った色を敵のチームに消されたら悔しいという思いをしてしまうのは、そのゲームに夢中になっている時間は色に憑依されているのです。憑依という字は一見怖く感じてしまいますが憑依を利用して夢中にならなければ何も達成できないことがわかったのです。
年と共に妥協も必要だと思いました。若い時はギラギラしすぎていました。コロナウイルスが流行して冷静になった今、たくさんの人との出会いは幻だったのかを考えることが多くなりました。もう二度と大勢が集まるようなことがないと思うと本当に寂しいです。
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