人間は皆、何らかの形で嘘をつく存在だと私は思う。
嘘は時に人を守り、時に傷つけ、そして何よりも、自分自身を守るための手段であることが多い。
だが、その嘘がどれほど「自己一致」しているかどうかは、別の問題だ。
私が「自己一致する嘘つき」と呼ぶのは、意識的に、あるいは無意識的に、自分の中で嘘と現実を一致させてしまう人々のことである。
彼らは、自分がついた嘘を真実のように信じ込み、その嘘の中で生きる。自己を欺くその姿勢が、時には他者にも伝播し、やがては周囲の人々も巻き込んでしまうことすらある。
この現象は、人間の心の中で非常に複雑なプロセスを経て生まれる。
最初は小さな嘘が、自分自身に対する違和感を和らげるための手段として使われる。
その嘘を繰り返すうちに、やがてそれが自分の中で現実として定着し、自己の一部となる。
そして、その嘘が「自己一致」してしまうと、その人はもはやそれを嘘と認識できなくなるのだ。
私自身、そうした「自己一致する嘘つき」になりかけたことがある。
いや、もしかすると今もその最中なのかもしれない。
嘘と真実の境界線
嘘をつくことは、誰しもが経験することだろう。
子供の頃、テストの点数が悪かったときに親に嘘をついたり、友達に自慢話を盛ったりといった些細な嘘から始まり、社会に出てからは職場での立ち回りや、人間関係を円滑にするための「方便」としての嘘まで、嘘は私たちの日常に深く根付いている。
だが、問題はその嘘が「自己一致」してしまうことにある。
例えば、仕事での失敗を隠すために嘘をつくことがあるかもしれない。
最初はただの言い訳に過ぎなかったその嘘が、何度も繰り返されるうちに、自分自身の中で「本当だったこと」にすり替わってしまう。
そうすると、いつしかその嘘は自分の中で現実と区別がつかなくなり、自己を欺く結果となる。
このような嘘は、自分自身を守るために必要な手段であることもある。
だが、それが自己一致してしまったとき、人はその嘘の中に閉じ込められ、本当の自分を見失う危険がある。
そうして、自分を取り戻すためには、その嘘と向き合い、再び真実を見つめ直すことが必要となる。
自己一致する嘘と自分探し
私は一時期、何度も自分自身に嘘をついていた。
社会的なプレッシャーや他人からの期待に応えるため、自分を偽ることが当たり前になっていたのだ。
そんな中で、私は自分の本当の気持ちや望みが何なのか、次第に分からなくなっていった。
しかし、その嘘は次第に私自身を苦しめるようになった。
自己一致してしまった嘘が、私の中で自己矛盾を引き起こし、心の中で絶えず葛藤を生んでいたのだ。
何度もその嘘を正当化しようとしたが、最終的にはその嘘が私を支配し、自分を見失ってしまうのではないかという恐怖が芽生えてきた。
そこで私は、再び自分自身と向き合う決心をした。
自分がついてきた嘘を一つずつ見つめ直し、それがどのようにして私の現実となっていったのかを理解することが必要だった。
そして、再び真実を見つけるために、自己一致してしまった嘘を解体し、再構築する作業を始めた。
嘘と共に生きる
このプロセスは非常に苦しいものであり、時間がかかることもある。
だが、それは自己成長のために必要な過程でもある。
自己一致する嘘を解体することで、私は自分自身を取り戻し、より本当の自分として生きることができるようになった。
もちろん、今でも嘘をつくことはある。
それが完全に悪いことだとは思わない。
むしろ、嘘は時に必要なものであり、他者を傷つけないためや、自分自身を守るための手段として使われることが多い。
しかし、その嘘が自己一致してしまわないようにすることが重要だ。
私たちは嘘と共に生きる存在であり、それを避けることはできない。
だからこそ、嘘と向き合い、それが自分の中でどのように働いているのかを理解することが大切だ。
嘘を完全に排除するのではなく、その存在を認めつつも、自己一致させないようにコントロールすることが、より健全な生き方に繋がるのだろう。
自己一致する嘘つきとしての私
結局のところ、私も「自己一致する嘘つき」かもしれない。
嘘をつくことで自分を守り、その嘘が自己一致してしまうことがある。
だが、それを自覚し、再び自分自身と向き合うことができるなら、その嘘は必ずしも悪いものではない。
嘘をつくことは、私たちが社会の中で生きるために必要な手段であり、その嘘が時に自分を救うこともある。
だが、嘘が自己一致してしまうことで、自分を見失う危険性もあることを忘れてはいけない。
私はこれからも、嘘と真実の狭間で生き続けるだろう。
それは避けられないことだが、自己一致してしまわないように常に自分自身と向き合い、真実を見つめ続けることが大切だと思う。
そして、他者との関係においても、嘘とどう向き合うかを考え、より良い人間関係を築いていきたい。
私たちが生きる社会では、嘘が存在することは避けられない。
だが、その嘘をどう扱うかが、私たちの生き方に大きな影響を与えるのだろう。
自己一致する嘘つきにならないように、自分自身と向き合い続けることが、私たちの人生をより豊かにする鍵となるに違いない。
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このブログが、読者の皆さんに少しでも響き、自分自身と向き合うきっかけとなれば幸いです。
嘘と真実の間で揺れる私たちの日常において、自己一致することのない嘘をどう扱うかを考えることで、より健全で充実した人生を歩んでいきましょう。