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「迂回する鵜」

2024-11-11 14:11:00 | Ai生成



鵜。うっかり口にすると「ウカイ」と読まれる。うっかり漢字で書くと、「ああ、うなずきの“鵜”ね?」なんて返される。誰もが頭に浮かべる、あの黒くて首が細長い鳥。そのイメージが浮かび上がるだけに、話すたびにどこか妙な気分になる存在だ。鵜は、私の人生にとっても、ある種の「迂回」を象徴するような、そんな生き物でもある。


先日、仕事帰りの散歩道で、川のほとりに一羽の鵜がいるのを見かけた。珍しく街中の川辺にぽつんと佇んでいるのだ。首をかしげ、ちょっと立ち止まった。カラスの鳴き声が遠くで聞こえる中、私は思わず「何でこんな所に鵜が?」とつぶやいた。しかも、その鵜はなぜか少し不安げな顔をして、なぜかじっと私を見つめていた。


鵜って、川にいる生き物だというのに、その時の鵜は水に浸かっていなかった。水面をじっと見つめながら、何か迷っているようにも見えた。その姿が、ちょっとだけ自分に似ていると思った。私も人生の中で何度か「迂回」を繰り返してきた。とりわけ、この年齢になってからの「迷い」と「うろうろする日々」が、まるであの鵜のようにさまよい続けている。


迂回する日々


「鵜」という文字には「迂回」の「迂」が含まれている。その意味では、鵜はもともと「迂回するもの」なのかもしれない。私も何度か人生の迂回路を選んできた。52歳の実年齢で「鰤子」を名乗り、ネット上では自称28歳として振る舞っているのも、ある種の迂回だ。私の「迂回の道」には、目的地もゴールもない。ただ、どこかへ辿り着こうとして、まるで水辺に立ちすくむ鵜のようにただ迷い、うろうろするばかり。


ネットでの「28歳エッセイスト」としての自分は、まさに私の“迂回する鵜”そのものだ。52歳で介護福祉士をしている現実から少しだけ距離を置き、自分だけの世界を築くことができる。それは私にとっての「水面」だろうか。そこにひとたび足を浸ければ、重たい現実から少し解放される気がする。だが、同時にその「水」は冷たくもあり、深く足を踏み入れるほどに底知れぬ不安が襲ってくる。


川のほとりで


あの日、鵜と出会った場所は、私にとっても特別な場所だ。川沿いには小さなベンチがあり、そこに座ると、街の喧騒が少し遠のき、心が静まるような気がする。都会の隅っこにぽつんと残された小さな自然のスペース。ここで私は、日々の喧騒を忘れ、ネット上の「鰤子」と現実の自分を重ね合わせるようにぼんやりすることができる。


その日は少し肌寒く、風が強く吹いていた。鵜は、風を受けながらもじっとその場に留まっていた。遠くでカラスが啼くのが聞こえ、空には淡い夕焼けが広がり始めていた。鵜が私を見つめる目が、不思議と何かを訴えているように感じたのは、その雰囲気のせいだったかもしれない。


私も鵜のように、遠回りの道ばかり選んできたのかもしれない、とふと思った。そして、その「迂回する道」が、私をどこへ導くのか、未だに答えが見つからないままなのだ



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