ドイツに留学した森鴎外を追って、明治21年(1988)9月12日に横浜湊に到着したエリス。
「舞姫」のモデルとされたこの女性の実像は、125年間も、謎のままであった。
今から30年ほど前の昭和56年、横浜港に着いた旅客船の乗船名簿から、彼女の名前は確定されたが、その後の様々な調査でも、彼女の実像は明らかにはされなかった。
法律学者でベルリンに客員教授として滞在した植木哲の調査も、いいところまで行ったが、その名前が違う点に、難点があった。
この書の少し前に出たNHKディレクター今野勉の新説も、いいところまで行っているが、やはり、乗船名簿と名の違うところが問題で、首肯することはできなかった。
ところが、この六草いちかという、日本ではほとんど無名の一女性は、見事な調査によって、ついにエリスの父母、妹も含めて、エリス自身を特定したのである。
125年間の謎が、ついに明かされた。
この著者に深い敬意を払いたい。私は森鴎外の専門家ではないが、かねてよりこの問題に注目してきた。この書のたどり着いた地点は、間違いなく終着点である。
近いうちに、森鴎外を専門とする研究者たちからも認められるだろうが、この書は、積年の謎についに決着をつけたという意味で、大きな意味を持つ。
大きな賞をあげて、この事実を世間に広く知らしめるべきである。
森本 穫(おさむ)
「舞姫」のモデルとされたこの女性の実像は、125年間も、謎のままであった。
今から30年ほど前の昭和56年、横浜港に着いた旅客船の乗船名簿から、彼女の名前は確定されたが、その後の様々な調査でも、彼女の実像は明らかにはされなかった。
法律学者でベルリンに客員教授として滞在した植木哲の調査も、いいところまで行ったが、その名前が違う点に、難点があった。
この書の少し前に出たNHKディレクター今野勉の新説も、いいところまで行っているが、やはり、乗船名簿と名の違うところが問題で、首肯することはできなかった。
ところが、この六草いちかという、日本ではほとんど無名の一女性は、見事な調査によって、ついにエリスの父母、妹も含めて、エリス自身を特定したのである。
125年間の謎が、ついに明かされた。
この著者に深い敬意を払いたい。私は森鴎外の専門家ではないが、かねてよりこの問題に注目してきた。この書のたどり着いた地点は、間違いなく終着点である。
近いうちに、森鴎外を専門とする研究者たちからも認められるだろうが、この書は、積年の謎についに決着をつけたという意味で、大きな意味を持つ。
大きな賞をあげて、この事実を世間に広く知らしめるべきである。
森本 穫(おさむ)
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