魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

薬師丸ひろ子・松田優作「探偵物語」

2013-01-30 23:53:20 | エッセイ 映画
白鷺城下残日抄(46)
 探偵物語                      
吉野 光彦


 徒然草29段は、昔から好きな段である。

   しづかに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞ、せんかたなき。
   人しづまりて後、長き夜のすさみに、何となき具足取りしたため、残しおかじと
  思ふ反古など破り棄つる中に、なき人の手  習ひ、絵描きすさみたる、見出でたる
  こそ、ただその折りの心地すれ。……

 秋の夜のひんやりした空気のなかで、ふと孤独を感じて、古い手紙や書類を整理する。すると今は亡き人の手紙が出てくる。それを手にとって読んでみると、その人の生きていたころの姿がまざまざと浮かんできて、心がしみじみする、というのだ。

 私もまた今宵、ふと淋しくなって、古い音楽が聴きたくなった。そして偶然眼に入ったのが、薬師丸ひろ子ベストコレクションというテープだった。
 このテープは、今から20年ちかく前、私が今の学校に来てまもないころ、学生のひとりがプレゼントしてくれたものである。

 「セーラー服と機関銃」のテーマ曲がよかった、あの曲をもう1度聴きたいのだが、誰か貸してくれないだろうかと教室で言ったら、自分が持っているからと言って、12曲入りのCDからテープにとってきてくれたものだった。その学生の名ももう忘れたが、確か赤穂から通ってきている学生だった。

 20数年以上前、何年間かにわたって一世を風靡した角川映画。その最初に登場したのが「セーラー服と機関銃」だった。タイトル通り、セーラー服の少女が機関銃を乱射するシーンが有名になった映画だ。
 その主題曲が、来生ゑつこの詩に弟の来生たかおがメロディをつけた「夢の途中」という曲である。

  さよならは別れの言葉でなくて
  ふたたび逢うまでの遠い約束
  夢のいた場所に未練残しても
  心寒いだけさ
  このまま何時間でも抱いていたいけど
  ただこのまま冷たい頬をあたためたいけど

 こんな始まりで、コンクリートの林立する都会で過ごす若者の孤独感を語る、鮮烈なものだった。
 いわゆる弱起の曲で、歌い出しがとても難しいのだが、心にしみる名曲だった。映画の方はもう断片的にしか覚えていないのに、曲の方は旋律も歌詞も、あちこちが心に喰いこむように残っている。

 そのテープを久しぶりに取り出して聴きはじめたのだ。
 薬師丸ひろ子の声が、こんなにきれいだったかと、私は茫然と聴いた。
 透明な澄んだ声だが、そのなかに、まだ少女の面影を残す、甘い、訴えかけるような丸みがある。
 その声が全身に流れこむように、私の琴線にふれてくるのだった。
 その声を聴きつづけるために、私はカセットをそのままにして、次の曲もその次の曲も聴きつづけた。そうなると、曲のよしあしや詞のよしあしは問題ではなくなって、彼女の声をただ聴いているのであった。

 私の眼前に浮かぶのは、あのセーラー服を着た小柄な少女の、丸い、くるくるとした濃い瞳の色と、小さく結ばれた口もとである。
 決して美少女とは言えないが、つよい印象を与えるその大きな瞳は、むかしずっと好きだった京子さんにどこか似ていると思われるが、それは大スターに失礼というものだろう。

 表の6曲が終わると、B面の曲がはじまった。その最初の「探偵物語」に来ると、私は、この映画と主題曲に夢中になった年月をありありと思い出した。

  あんなに激しい潮騒が あなたの背後で黙りこむ
  身動きも出来ないの みつめられて

 この詞は、なんと魅力的だったことだろう。
 場所は、砂丘のようなところ。背後に真っ青な紺青の海がある。しかしその海は荒れて、あちこちで白波が立っている。耳を聾するばかりの潮騒の音。ところが少女は、とうとう思う相手にめぐり逢ったのである。あなたの瞳にみつめられると、すっと、まわりの物音が消えてしまう。しんとした静寂。その静寂のなかで、あなたと私だけの世界がスローモーションのように、ゆっくりと立ち上がる……。

 たった2行で、そんな光景を描いてしまう詞のみごとさに、私はしびれたのであった。詞は来生ゑつ子だったか、ほかの人だったか、わからない。曲が大滝詠一だったことは確かである。

 映画も、なかなか面白かった。もっとも、この作品には2つバージョンがあって、1つはテレビが連続放映をしたもの、もう1つは映画版である。そして私の見たのは根岸吉太郎が監督する映画版の方である。

 ヒロインは、薬師丸ひろ子演ずる女子学生。両親が大金持ちで、恐ろしいような大邸宅に住んでいる。しかし両親は仕事でアメリカに住んでいる。その両親は、大学に入ったばかりの娘が悪い男にだまされないように、娘の行動を監視し、時には護身役をするために、私立探偵を雇った。

 その中年の、風采のあがらぬ私立探偵を、故松田優作が演ずる。

 物語冒頭、大学のコンパで酔っぱらった令嬢が真夜中にご帰館する。高い鉄格子に、立派な装飾をほどこされた門。もちろん小間使いなどはとうに寝静まって、門は頑丈に施錠されている。令嬢はなんと、その門塀をよじのぼって邸内に入ろうとするのである。

 令嬢の身辺を警護するために後をつけてきた探偵。さっきまでは、その追尾をうるさい! と叱りつけた令嬢だったが、さすがに高い門を1人で上りきるのは難しい。途中で動けなくなった令嬢は、物陰で見守っていた探偵を呼びつけて、お尻を支えさせるのだ。

 こんなふうにして2人の奇妙な追いつ追われつのドタバタ騒動がはじまる。観衆はしばらく、そのドタバタ喜劇風のドラマを見せられることになる。そして令嬢のわがままさと、女房に逃げられた中年探偵の情けなさをたっぷり見てゆくことになる。

 赤川次郎の原作であるから、当然ながら悪漢とか、やくざ者とかが出てくるのであるが、物語の終盤になって、映画はにわかに緊張を見せる。

 薬師丸ひろ子は、まもなく両親の住むアメリカに渡らなければならないことになったのだ。そして観衆は、この喧嘩ばかりしている二人が、いつのまにかお互いを恋しあっていることに次第に気づいてゆくのである。

 別れが近づいた2人。そしてその秘められた恋情が深く内攻している2人。

 いよいよ明日の朝には成田を発たなければならない令嬢。しかしこの2、3日、役目が終わったためであろうか、探偵は身辺に現れない。不安げに、彼が近くに来てはいまいかと幾度も振り返る令嬢。とうとう来ないとわかった令嬢は、自分の方から探偵のアパートを訪ねてゆく。

 夏のこととて、開け放たれた探偵のアパートは、中年男のひとり暮らしの哀愁にみちている。探偵は、遅い夕食をとろうとしているところだった。

 ちゃぶ台のこちら側にすわって、薬師丸ひろ子演ずる令嬢は問う。

 ――ひとりでいて、淋しくないの。

 松田優作演ずる探偵は、ぼそっと答える。

――ひとりでいて、淋しくないやつなんかいないよ。

 せきこんで、今にも愛を告白しそうになる少女に探偵はつれなく言う。

 疲れてるんだ。悪いけど、お茶をのんだら、帰ってくれないか。

 怒って室を走り出た少女が、ドアの外から叫ぶ。

 ――ほんとは、探偵さんのこと、好きになっちゃったの。

 ……深夜、少女の邸宅の門が写し出される。タクシーから降りて、門までの数10メートルを、少女はゆっくり歩く。そして、不安げにあたりを振り返る少女。

 それがどんな心理を反映しているのか、観衆は痛いほどにわかっている。

 あの、初めて探偵さんに会ったのも、こんな夜だった。あたしが門を上がる途中で動けなくなったとき、闇の中から探偵さんが現れて助けてくれたのだ。今夜も、ひょっとして、私より先回りして、そのあたりの物陰にひそんでいるかも知れない。
 しかしそんな期待もむなしく、誰も現れはしない。少女の淋しい心が観客の胸を打つ。門前の最後の1歩を踏み出した少女。

 そのとき、音楽が流れだすのである。

  あんなに激しい潮騒が あなたの背後で黙りこむ
  身動きもできないの みつめられて……

 少女の孤独な愛をうたう薬師丸ひろ子の、あまみを帯びた澄んだ声が、しずかに観客の胸に流れてくるのである。
 夜が明けて、タクシーで成田空港に来た令嬢は、それとなくあたりを見回す。もちろん、探偵さんが見送りに来てくれてはいないかと思っているのである。探偵の姿はない。

 それから、ロビーでも、ゲートを過ぎてからも、彼女はあたりを見回す。どこにもいない。彼女の不安と悲しみがひしひしと観客に伝わる。とうとうゲートを過ぎて、最後の搭乗ゲートへのエスカレーターに令嬢は乗る。令嬢を乗せたエスカレーターがゆっくりと斜めに上がってゆく。もう終わりだ。彼は来なかった。

 みんながそう思ったとき、最後に振り返った令嬢の視野の隅に、駆け込んできた探偵のすがたが映る。
 上がってゆくエスカレーターを、反対に階下まで駆け下りる令嬢――。

 そのいちばん下の手すりのところで、やっと2人は向かい合う。その1瞬、周囲の空港の喧噪がとだえて、しんとした静寂が訪れる。

 2人は相寄ったと思うと、互いに吸いこまれるように深い口づけをする。

 ワンテンポ遅れて、、ふたたびあの主題曲が鳴り出すのである。

 2人の口づけは、恐ろしいほどに長くつづく。長身の松田優作と小柄な薬師丸ひろ子。優作は身を折り曲げるようにして、薬師丸は伸び上がるようにして、ふたりは抱き合ったまま、ただ唇を吸いつづける。

 それがちっとも不自然ではないのだ。これまでの2人の、抑えに抑えてきた恋情が吹き出し、それがこの長い長い口づけに凝縮されているのだ。
 でもそれきりで、少女は探偵を残してふたたびエスカレーターを駆け上がる。

 最後は飛び立った飛行機の姿である。とり残されてたたずむ中年男のぼそっとした姿。機影が小さくなる。……

 あの映画を見てから20年が過ぎた。
その強引な辣腕をふるった角川春樹は麻薬事件で失脚し、われわれの前から姿を消して久しいけれど、確かに一時期、わが国の映画史上、角川映画の時代があった。

 あくどいまでの宣伝に、反発も大きかったけれど、衰退した映画館にふたたび多くの観衆を呼び戻す役割を果たしたのは事実である。「お母さん、ぼくのあの帽子、どこへ行ったんでしょうね」というテレビのコマーシャル・スポットを私たちに残して、角川映画は遠く去ってしまった。しかしその角川映画は、薬師丸ひろ子という新鮮なスターを世に送り出したのである。
 薬師丸ひろ子は、ふしぎな女優である。あの黒い大きな瞳はつよい印象を人々に与えるが、それほど美人というわけでもなく、スターにしては小柄すぎる。

 にもかかわらず、映画の中で彼女は、さまざまな表情を見せる。演技力もある。そして時折、ハッとするような美しい表情を見せる瞬間がある。なるほど、角川が鳴り物入りで売り出しただけのことはあるな、と思わせる。

 「セーラー服と機関銃」の高校生役から、20代のなかばまで、彼女は角川映画を代表するスターであった。今宵、私は久しぶりに彼女の甘みのある澄んだ声を聴いて、彼女と、彼女を前面に打ち出した往年の角川映画の数々を思い起こしたのであった。

 「探偵物語」のふたりを演じた松田優作はすでに世になく、薬師丸ひろ子も、長いあいだ映画にもテレビにも姿を現さぬ。ただ時折、彼女のゴシップが雑誌なんかで伝えられて、それによると、いま彼女は安全地帯の玉置浩二の夫人であるらしい。その夫婦仲も危ないのだとか……。

 どうか薬師丸ひろ子よ、このまま、私たちの前に姿を現わさないでいてほしい。あのセーラー服の少女から数年間の、若々しい女性像を鮮明に私たちの胸に残してくれた、あなたよ、どうか中年女になった醜い姿を画面にさらしたりしないでいてほしい。私たちの胸に大切に刻まれたイメージを、そっとこのまま壊さないでいてほしい。

                     
(『文芸・日女道』433号〈2004・6)










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