久しぶりに東海道珍道中を再開した。岡崎から四日市までの区間を保父さんと二人で旅してきました。
前回の珍道中から2年半ぶりの再スタートです。骨折やら骨折やらと、まぁいろいろありまして...。
前回の掛川から岡崎までの区間では焼津のMさんとアブラミさんに大変お世話になました。有難うございました。次回は1泊2日で一緒に京都を目指しましょうという話になっていたのだが、2日間の休みがなかなか取れないので1泊1日の強行軍で走ることになりました。最終ラウンドはご案内させて頂きますので、お時間があれば是非ご一緒してください。
そもそもこの企画はチームのロングポタリングとして2009年1月25日に日本橋をスタートし5年が経過したがいまだ京都に辿りつていない。しかもチームで走ったのは日本橋から藤沢までの一区間だけ。まぁこんなもんか(笑)。
藤沢から先は単独で京都を目指していたが、ウルトラスペシャルステージの箱根越えは広葉樹さんが伴走してくれて乗車率3%という過酷なステージをクリアできました。「旧東海道の旅 その4」参照。その節は有難うございました。
沼津から掛川までは単独で薩埵峠、宇津ノ谷峠、金谷の石畳と三つの難所を越え掛川からは保父さんが再び参加。地元の焼津のMさんとアブラミさんも参加してくれました。
自分で言うのもなんだが、よくぞ諦めずにここまで自転車を進めてきたものだ。
今回は1泊1日の強行軍なので仕事が終わってから新幹線で三河安城まで移動して翌朝、岡崎から四日市を目指して再スタートしました。
前回の終点、岡崎城から再スタートです。
中岡崎駅前には八丁蔵通りの大きな看板がありました。
程なく合資会社八丁味噌に到着。歴史を感じる建物です。
ゆるキャラ「オカザエモン」の自販機を発見しました。
中にはとってもレアなキャップが存在するそうです。ヘェ~。
こちらもツーショット。でも何か変な感じがしないでもないが...。
八帖往還通りにはとってもわかりやすい道標がありました。ちょっと遠すぎじゃない?
安城市内の松並木はとてもよく保存されています。
来迎寺一里塚。江戸日本橋から84里の地点です。
池鯉鮒宿付近には山車の倉庫がいくつかありました。中を見てみたかったな~。
池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)は、東海道五十三次の39番目の宿場で日本橋から約330km。当時およそ10日間かかったらしい。1日33キロ歩いたのだから凄いですね~。
所々にこのような看板が設置されているので旧道を確認できます。
阿野一里塚は国指定史跡になっている一里塚です。
右塚と左塚が昔の姿のまま残る貴重な一里塚だそうです。
有松の町並みは昔の風情が残っています。
保父さんがでかいのか昔の人が小さかったのか?
駄菓子屋さんでラムネを頂きます。地元の子ども達でいっぱいでした。
この町は染物でも有名だそうです。三ツ矢サイダーの絞り染め。
丹下町の秋葉山常夜灯です。なかなか立派!
笠寺の一里塚には大きな樹が!
日本橋から88里。約350Km。
名古屋市内へ突入しました。「トヨトミ」の看板がデカい!
熱田神宮の脇を通って宮宿へ到着。ここで東海道は寸断されます。
江戸時代では宮宿から桑名まで渡し船で7里の旅をしたそうです。
ここでランチタイムで熱田神宮周辺を散策してみました。
神宮前の商店街で焼きそば定食を頂きます。
焼きそばにご飯の組み合わせ。関西の乗りですね~。
この看板に見覚えありませんか?。キーワードは「天白」。
ホテル金水は取り壊されていたようです。推定ですが...。
さて、東海道珍道中を再開しましょう!
で、船でワープいたしまして(嘘)桑名から再スタートです。
桑名宿で見つけた看板。
デパ地下で有名な柿安本店がありました。以外にこじんまりしてました。
火の見やぐらがありました。江戸時代の物ではありません。
四日市付近では現在は家が建ってしまっていてますが、昔の東海道の軌跡が記してありました。
JR四日市駅に到着です。近鉄四日市駅に比べるとさびれた感じがします。
さて、今回は名古屋を越えて四日市までやってまいりました。残すところ約110Km.やっと京都が見えてきました(笑)。
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