(元町公園からの眺め)
箱舘戦争の゙足跡をいくつか辿る旅。
③函館
「侍の命尽きぬるも函館の顔役なるぞ榎本武揚(新作)」
(五稜郭跡、箱舘奉行所、五稜郭タワー)
「関門は亀田と箱館土方の生死(しょうじ)も分かちし一本木とぞ(新作)」
(一本木関門跡、函館市若松町)
(土方歳三最期之地碑)
「幕末の技術官僚(テクノクラート)三郎助覚悟の最期いといと惜しや(新作)」
(千代ケ岱陣屋跡)
(中島三郎助父子最後之地碑、函館市中島町)
「碧玉となりし御霊をはばかりて弔ふ碑(いしぶみ)されど高々(新作)」
(碧血碑、函館市谷地頭町)
(明治辰己実有此事
立石山上以表厥志)
「寺町の坂を息つき登りけり傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑を拝まんとして(新作)」
(高龍寺、函館市船見町)
(傷心惨目碑)
「函館の山はひとつの闇となり街の灯りのあたたかきかな(新作)」
「函館の坂は港とともにあり撮るも下るも上りしのちぞ(新作)」
(旧函館区公会堂)
(バルコニーから)
(基坂)
戊辰戦争の終局としての箱館戦争を辿ってみたが、道南のさいごの武士たちの様々な生き様は興味が尽きない。再訪できれば、いいなぁ。
(060626-28)
(おわり)
(開陽丸)
箱舘戦争の゙足跡をいくつか辿る旅。
②江差
「松前や江差に向かふ鉄路なきキハの役目はながまれとかや(新作)」
ながまれ(道南の方言)=のんびりして
「バスで行かん江差松前消え失せしレールのルートをスマホで追ひつ(新作)」
「人と船山の国より追分を伝へ運びて蝦夷地に至りぬ(新作)」
(江差追分会館)
(江差山車会館)
「鰊漁守護せし姥神大神宮江差湊を見下ろし御座す(新作)」
(姥神大神宮)
「新たなる国興さんと蝦夷地をば榎本海軍ひた目指したり(新作)」
(軍議中の榎本武揚(右端))
「座礁せし開陽まじまじ土方は涙零しつ拳振るひぬ(新作)」(旧檜山爾志郡役所)
(バルコニーから)
(土方歳三嘆きの松)
(060626-28)
(つづく)
(松前城三層天守、本丸御門)
箱舘戦争の゙足跡をいくつか辿る旅。
①松前
「無高ゆえ湊の交易沖の口番所で粛々行なはれけむ(新作)」
(沖之口番所跡、松前奉行所、松前藩屋敷)
「許されて台地に築きし福山城最北最後の城郭となる(新作)」
「総督の土方攻め込む陸と海たちまち落ちぬ福山の城(新作)」
「国宝に定めらるれどあな惜しや三層天守焼失せしとや(新作)」
「榎本が海軍来たりし海峡に大筒放つもすべなく落ちぬ(新作)」
「法華寺の石段登り旧幕軍慰霊碑詣で我が名を記す(新作)」
(法華寺)
(060626-28)
(つづく)
今夏の選手権大会のベンチにも「女子」の姿が見られるようだ。私の住む地の代表校もそうだった。
但し、ベンチに座るいわゆる「女子マネージャー」は、規則では「記録員」、すなわちスコアラーという位置づけだ。
とはいえ、平成8年(1996年)までは、記録員はベンチ入りが認められなかった。その解禁とともに女子マネの姿を見かけることになった。
中にはスコアは付けずに(付けられずに?)マネージャーに徹しているチームもあるやもしれぬ。(その場合は、従来どおりリザーブや部長先生(責任教師)がスコアを付けているんだろう。)
また、リザーブにもなれなかった部員(ムードメーカーの如き)を充てているチームもいよう。それも一つの考え方だ。(但しユニフォームは着用できない。)
一方、性別に拘らずワンチームとして汗を流してきた仲間である女子マネージャーを晴れの舞台に立たせるのも、ステキな表現だと思う。
さて記録員は、事前登録が必須の20人の選手と異なり、試合ごとに入れ替えても構わないようである。これで、(勝たないといけないが)複数の女子マネがベンチ入りできる可能性が産まれる。(頭の硬そうな高野連にしては、(巧まざる結果であるにしても)粋な配慮といえまいか。)
何だかんだ言っても、男子校で六年過ごした身にとっては、球児たちと並んで整列してる女子マネの姿を見ると、
『こいつら青春してるよなぁ。』
とひしひし感じてしまうのだった。
「記号ひとつ書き込む時間遅るるも感極まれりベンチのA子(新作)」
不尽
追記
例の大社VS早実の試合は、たまたまピンズドで9回裏から見てしまった。妙な感想だが、「(この試合を見られて)生きてて得をしたな」。
「海近きホームに結ふる願ひ事バックパッカー深呼吸せり(新作)」
「同じ駅同じ夕陽を現在(いま)ひとりあの眩しさはうそではなかつた(新作)」
「ジオラマでのぞみを操る少年の停まることをば考えざる夢(新作)」
海岸線の長い国に住んでいるので、往復するだけで小旅行の気分である。
(おわり)
不尽
「特急の赤きシートで童等(わらべら)は弾け跳ねたり夏休みかな(新作)」
「見慣れたる海岸線を行く列車君とは異なる君想ひだす(新作)」
「滑かなる弧を描き岐かるる引込線行手は叢(くさむら)夏の盛りよ(新作)」
(つづく)
「四年後を持たざる者と持つべき者渇く涙と渇かす涙(新作)」
パリ五輪が終了したが、リアルタイムと録画を含めて、30分も視聴しなかった。
実況アナウンサーの五月蝿い絶叫を聞かされると思うと、見る気が失せる。
いきおい、ニュースやハイライト動画で済ませてしまった。
歌意はありきたりだが、3句の「べき」は、ある意味残酷かつ無責任な歌といえようか。
てな訳で、五輪短歌は、一首のみ。
不尽
「ハイーハイゆるり宥めつ遠き道馬子唄合の手澄みわたりゆく(新作)」
馬子唄(民謡)の゙合いの手の余韻に聞き惚れる。
(俳句)
馬子唄の合いの手労(いたわ)る夏の坂
無季で詠むと
馬子唄の合いの手人馬労(いたわ)れり
短歌から引っ張ってくると、無季がいいと思うのだが。
こんなとこが、季語による世界の制約を感じるか、拡張と見るか、延ては、俳句と短歌を取るかの分岐点かもしれない。
不尽