田山花袋は、明治4年(1871年)生、昭和5年(1930年)没、60歳。
今や「蒲団」で自然主義の先鞭をつけた記録のみが残り、記憶には残らないかの如き明治の文豪。
また、芥川龍之介や正宗白鳥などから「下手くそ」呼ばわりされ、やはり不憫な感が拭えない田山花袋を更読みする。
テキストは『定本花袋全集』、時系列に主だった作物40作を読む。
全体の感想は、筋は派手な展開はないし、表現もケレン味もなく、乾いた感じ。まぁこれが花袋が標榜した「平面描写」なのだろう。
花袋は小説家として名をなす以前に紀行文の名手として知られていたそうな。平面描写の下地は充分あったといえよう。
四つ星以上をつけた作物は「縁」・「田舎教師」・「時は過ぎゆく」。
「縁」(明治42年)は、「生」や「妻」と共に「蒲団」(明治40年)以後の花袋「自然主義三部作」の一。蒲団の後日談だが、かの女弟子美知代のジェットコースター人生が淡々と描かれる。
「田舎教師」(明治43年)は、さしたる事件は起きないが、それでいて世相や仲間から取り残される主人公の焦燥感がじわりと心に凍みてくる。評判どおりの名作だ。
「時は過ぎゆく」(大正5年)は、明治維新以降の人心、風俗、主人公の眷属などの有為転変を淡々と描いた滋味深い傑作で、充実した読後感だ。
次点は、些細な行いから暗転していく兵隊の運命を坦々と書いた「一兵卒の銃殺」(大正6年)、美知代の実子千鶴子の短い一生を描いた悲しき小編「幼きもの 」(明治43年)といったところ。
花袋は元芸者の愛人飯田代子(よね)を抜きにしては語れない。二人が出会った時、花袋37才、代子17才。関係は花袋が亡くなるまで23年間続く。
彼女がモデルである作物は70余りあるそうで、花袋は「情痴小説」家でもある。
幾つかの情痴小説を読んだが、花袋は20才差の女に溺れるというより保護者の如き佇まいだ。そのせいか?あまり面白くない。(苦笑)
比較するのも何だが、徳田秋声が書いた「順子もの」のほうが溺れてる感の哀切がある。
ただ、最後の長編小説となった「百夜」(昭和2 年) は、長年に及ぶどん詰りの愛欲生活をだらだら描くだけなのに、妙〜な充足感がある。(汗)
また、花袋には「東京震災記」(大正13年)なる関東大震災のルポ的な作物がある。向島に住んでいた代子の安否を訪ねて行き無事を確認するシーンは印象的だ。
総括すると独創性にはやや欠けるけど、自然描写は上手いし、「蒲団」以外にも再読するに足りる作物もあるので、忘れられそう?なのは惜しい文豪だ。
最後に、(没後に編まれた)花袋全集の序文で盟友の島崎藤村は、「もう一度田山花袋に帰ろうではないか。あの情熱を学ぼうではないか。あれほどの痩我慢と不撓不屈の精神と、こどものような正直さと、そして虚心坦懐の徳を誰が持ちえたろう。」と書いている。
「抱擁をありのまま描き目覚むれば何処を流れて行きしか涙(新作)」
不尽