HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

【番外】「私だけの小さな空」

2019-01-18 00:00:00 | 日記
夜休む前に、私は必ずカーテンを30センチほど開けてから床に入ることにしている。雨戸の上の灯りとりから空を見ることが出来るからである。いつの頃からか夜半に目覚めたとき、空を見るのが習慣になってしまった。

たまたま満月が、小さな空に見えたときなど嬉しくなる。そんなとき、私は、親しかった人々の顔を次々と思い浮かべ、その人と話し合ったときのことなどを想い出す。

「私は長男が、大学にはいって下宿生活をしていた四年間、随分心配もし、寂しい思いもしたわ。だからあなたが、東京へ転宅して行きはる気持ちはようわかるし、息子さんの為にもいいことやと思うわ。」

そう言って私を励まして下さった隣家の奥さんと、同じこの満月を私も見ているのかと考えると、懐かしさでいっぱいになってしまう。

しかしこの小さな空には、何も見えない真の闇夜もある。そんなときは、雲の動きでも感じとりたいと、私はじっと耳をすますが、何も聞こえない。

ふと、私の耳許で、「本当に東京へ行ってしまうの、、、」と言った、母の声を感じた。「家から通える、こちらの大学にしておけば良かったのに、、、」とも、母は私に言った。孫の顔を見ることが出来なくなる寂しさよりも、娘の私が遠くに行ってしまうのが、心細かったのだろう。

電話の向こうで、母は泣いていたかもしれないと思うと、もうたまらなくなって私は起き上がってしまう。そして、近況を知らせる長い手紙を書く。

昨夜は、小さな空に星が一つ見えた。黄色がかった白い色がまたたいていた。今にも消えるような弱々しい感じの光だった。

じっとその星空をみつめていると、人の世の老後が感じられて、思わずせつなくなって涙ぐんでいる。いつか、私も、同じ道を、同じような姿で老いていくのだと、しみじみ思った。

私はこの、残された年月を自分のために、有意義につかいたいとも考えた。また、私の周りの人たちのためにも、出来る限りのお世話をしていくことが、悔いのない毎日の生活の姿であるとも思った。

昨夜は、小さい空の星にいろいろなことを考えさせられた。











・・・今日は母の命日だ。39年が経った。市井の人としてはそこそこ名文家だったと思う。「向田邦子さんみたいになりたいねん。」と言っていたことを覚えている。(もちろん、冗談やったやろ、母ちゃん。)

本作は、母が所属していた文芸サークルへの遺作である。(軽みを感じさせる文章が得意な)母にしては、少し堅めの内容かな。

でも、このささやかな願いは叶うことはなかった。脱稿後一週間しないうちに、「急性骨髄性白血病」で命を落とすとは夢想だにしなかったことだろう。、、私たち家族ですらそうだったくらいだから。

一方、母より2つ年下だった向田邦子は、母の亡くなった翌年の夏、台湾での飛行機事故で、これまた忽然と逝ってしまった。






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