HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

4268・4269首目 初恋とロマンスカー・・・

2021-02-27 00:00:00 | 日記

三田寛子を聞く。私にとり彼女は、アイドル花の82年組の中にあっては、西の横綱。(京都の娘(こ)やいう贔屓目もあるんやけどね。)

可憐で少し遠慮がちで、それでいてはんなりしてる。歌声は余ったる過ぎない京和菓子テイストで、歌唱も弾けすぎないまったりなとこが、イイ。

『駈けてきた処女』や『ときめきおぼろ』などがお気に入りだが、やはり何と言っても『初恋』だ。

(彼女に取っては、男歌だけど)感情過多にならず歌うのが、回想する恋歌に意外とマッチしてると思うがどうだろう。

でも、何と言っても楽曲の魅力だ。詞・曲は、いわずもがなの「村下孝蔵」。

(まぁ、三田は、他にも村下の曲を2曲歌ってはいるが、、。)


「顧みて畢竟(ひっきょう)失ふべきなる哉(や)はつ恋は生きゆかん発恋(新作)」


それではと、村下孝蔵を聞く。今まで有名曲しか知らず、まとめて聞くのは初めてだ。

したがって、『ロマンスカー』なる曲を知らなかった。シングル発売は1992(平成4)年。もう時代はシングルCDだ。

ロマンスカーとは当然、「小田急ロマンスカー」のこと。歌詞にはロマンスカーを眺める恋人たちの姿がある。

年表を見ると村下が活動拠点を東京に移したのは、1984年とある。すると、鉄男的に言うと、村下が見ていたのは、3000形SE車、3100形NSE車、7000形LSE車、そして10000形HiSE車か。

歌の舞台が小田急沿線の何処はわからない。(歌詞に♪海にも山にもいつか 並んで行こうね 手をつなぎ♪とあるので、相模大野駅より手前だと思うけど、、)

とまれ、二人は、「はこね」や「あしがら」そして、「えのしま」を何度も夢見るように見送っていたのだろう。

ただ、今では小田急は高架や地下化が進んで、村下が描いた風景は失われているやも知れぬ。

さて、私にとっての「小田急ロマンスカー」。それは、町田駅からの上りに乗るものだった。当時、小田急沿線に住んでいた彼女と新宿に遊びに行くためのもの。それも、お金に余裕があるときに限って、だ。


村下が46歳で急逝したのは、1999(平成11)年6月24日。彼は大層この曲が気に入っていたらしく告別式でも何度も流されたとか。

切ない別れ歌だけど、ロマンスカーの疾走感もあって、少しだけ前に進む力を与えてくれる、そんな素敵なナンバーだ。

明日2月28日は、村下孝蔵の誕生日。存命なりせば68歳である。


「特急は駆け抜けたちまち消え去れどゆつくり失せぬ汝が面影(新作)」

不尽


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