帰仙時の話題ですが、震災以来会えないでいたいとこやおばさんに会ってきました。
地震の前々日に仙台我が家に来てくれ、その余は楽しい晩餐をしたのに、
私はその次の日千葉に行き11日に大地震になり・・・・・と
そんな激変した六ヶ月でした。
この時は二日後に大地震が起きるとは思ってもみなかったので、大はしゃぎで食事をしました。
震災後の再開にて思わず、「生きていて良かった。」と抱き合ってしまいました。
彼女の家はあまり大きな被害はなかったみたいですが、
その瞬間の話を聞くと、それぞれに生死と隣り合わせの状況だったようです。
地震後の大変さも、サバイバルしてたよと明るく話してくれている彼女の前向きさに打たれました。
(私はそのころ千葉で、これでもかという位いウジウジしてたのですからね。)
又、彼女とアッシー君になってくれた彼女の旦那様と、久しく会っていなかったもう一人の従妹と
施設に入所している叔母の所に行くことにしました。
その前に、三人でイタリアンでランチをしました。
(ここの名前忘れた・・・・○○ーちゃんコメントで教えてー)
店のオブジェが気に入りました。 前菜 何この手じゃま スパは食べてしまった デザートがいろいろあっていいね
のでメニューで撮影
その後もう一人の従妹の家に行きました。
彼女は震災の時に、病気で休んでいた娘の病院に薬を取りに行ってて地震に遭遇
一人残した娘が心配で、地震後すぐ車で家に戻りましたが渋滞にはまり、
もしそのまま渋滞のなかにいたら、流されていたとのことですが彼女は横道にそれて難を逃れたらしいです。
その後のことを聞けば避難先にいたものの大変だったので、結局家に戻り
家で、冷蔵庫の中のものをアウトドアー用で、バーベキューをしていたら、近所の人たちが食材を持ってきて
焼いてくれと言われたので、近隣の人と皆でサバイバルしてたそうです。
「開き直るしかなかったよー」と彼女も元気に明るく乗り切った彼女達がすごいなーと思いました。
もしかして、私もその場にいたらウジウジなんかしてられなかったのかもしれないなと思いました。
そして施設に入所していた叔母にもあってきました。
叔母は私の顔を見るなり、手を振り私の名前を呼んでくれました。
私を忘れないでいてくれたことに、涙の再開でした。
叔母のところもすぐ近くまで津波がきていて、明暗を分けたところを目の当たり
に見て、身震いしました。
久々に会った叔母に母の姿を重ねてしまいました。
そして、ディナーはいとこの家で、私のリクエストのケンタッキーフライドチキンで晩餐会
お刺身も購入してくれて、久々に従妹の子供たちも一緒に賑やかな晩餐会をしました。
子供たちが一緒に集まってくれるうちが花だな~と思いました。
本当に生きてて良かったと思う瞬間です。
ランチのお店は
『Ristorante Pasta』
です。
今では、どこの店も普通に再開していますが、大震災の後は、店という店がどこも開いていない状態で、当たり前に利用していたコンビニはもちろん外食する場所さえなく、やっと開いたスーパーは大行列で、笑ってしまいました。
しかも、そんな日々が延々と続き。
普通のことが普通でなくなる日が、この時代にもやって来るもんなんだなと…。
3週間くらいしてライフラインや食料不足も落ち着き、再開した飲食店で外食をしたときは、
ただのラーメンだったのに涙が出ました。
オズお姉さまと楽しいランチができたなんて、あの時のことを思うと夢のようです。
普通のことが普通に出来るって、本当に幸せだなと改めて思います。
大震災は私たちからたくさんの大切なものを奪いましたが、
それとは別に、今まで気付かなかった大切な事もたくさん気付かせてもらったような気がします。
また、美味しいものたくさん食べましょう~。
というお店だったのですね。
教えてくれてありがとう!!
お返事遅くなってごめんなさい~
ほんと今まで普通に生活していたことが普通にできなかったわけですからね。
楽しいひと時を過ごせてうれしくおもいます。
又会えたらいいね~