OZLIFE’S DIARY

メルボルンで働く永住者OZLIFEの雑記帳

(および過去記事収納所)

無事帰国

2001-09-30 | 日々のつぶやき
テロ事件が発生したとき、ボストンにいました。その日は参加していた国際根付コンベンションの最終日でした。根付ソサエティーの会長さんが朝の講演途中に割り込んで「今朝ボストンのローガン空港から飛び立った2機が世界貿易センターにつっこんで、3機目がペンタゴンに・・・ 今、アメリカ全土はテロ攻撃下にあるようだ。。」と発表。「NYの」って言わないもんだから最初、ボストンの世界貿易センターに突っ込んだのかと思った私達はびびりにびびりました。コンベンション会場はボストンのローガン空港から車で15分、ボストン世界貿易センターの真正面に位置していたんですから。

その後、スライド上映していた講演会場はニュース上映会場に早変わりし、私達は迫力満点の大画面で次から次へといろいろな角度から映し出される撃墜シーンをいやというほど味わうことになりました。ショッキングな映像と次のターゲットはどこ?という不安、そしてタイミングが悪かったら自分が犠牲になっていたかもという思いに足が震えてました。

私達の帰国予定は2日後の13日にボストンから因縁のアメリカン航空でNY入りし、そこから成田行きのJALに乗り継ぐ予定でしたが空港が再開しなかったためキャンセル。結局足止め6日目の18日にNYから無事日本に戻ることが出来ましたが、予定が立たないままの5日間は本当に長かった~。空港再開のメドを知りたいばかりに気分が滅入る本当なら避けたいテレビのニュースを見続ける毎日。コンベンションのアメリカ人参加者は車などを手配して一組また一組とボストンから消えていき飛行機で出るしか手段のない者がホテルに取り残されていきます。その焦燥感といったらありません。戦争がはじまる前にこの国から出られるのだろうかという不安のみならず、手持ちのお金のこと、旅行障害保険のこと、職場の休暇切れのことなどで頭はいっぱい。チケットのとりなおしのためにJALのつながらない電話に何度かけたことか。やっとつながると10日後の23日までお席はありませんという返事。冗談でしょ~? 滞在費がもたないよ~。

と思っていたところ、ボストンから電車で1時間のロードアイランドにある友人の友人の友人の別荘に泊まらせてもらえることになりました。ロードアイランドのWatch Hillは自然に囲まれた素晴らしいリゾート地。本当にラッキーでしたが、肩身は狭いし心から楽しめない。。。うーん、もったいない。

3日後、NY空港が再開したというニュースを聞くと、キャンセル待ちの泊り込み覚悟で電車でNYに移動しました。マンハッタンはまだ煙がたなびいていました。初めてのNYでペン駅から閉鎖地区を迂回しながら重い荷物を抱えて地下鉄を乗り継いでJFK空港に行ったりとちょっとした冒険でしたが、翌日席が確保できて無事成田行きの飛行機に乗り込むことができました。JFK空港はがらがらで電話をかけようにもインターネットをしようにもテロ対策のため回線が切断されていて使えませんでした。

コンベンション参加者のみなさんは24時間かけてシカゴにバスで移動したりレンタカーを借りて5日がかりで西海岸に移動したりと家路に帰るのに苦労していたようです。撃墜した飛行機で帰る予定だったけれど気が変わって予定変更して命拾いした参加者の方もいました。

あやうく帰国途中の日本里帰りの予定が全くナシになってしまうところでしたが、会社と交渉して休暇を無休で3日延長してもらうことにしました。こういう時はオーストラリアの会社は融通がきくから助かります。日本の実家で3日過ごしたあと、慌ただしくメルボルンに戻ってきました。成田もがらがらでした。テロ事件のあとメルボルンに戻ってくるまで5回も飛行機に乗りました。シドニーからメルボルン行きの飛行機に乗るときはやっとこれで最後だ~と思いました。今回の旅行の総飛行時間は50時間を軽く越えます。とにかく疲れ果てました。ニアミスはサリンガス事件に続いて2度目。とにかく生きて戻れて良かった。

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