私の魂の成長にとって今一番の課題であり修行は、「待つ」ということではないかと思っています。
特に、黙って待つ、という状況は、私にとっては耐え難い試練!
でもこれをうまく克服できれば、いろいろなことが楽になるような気がしています。
私の周りには、比較的のんびりペースで動く人が多く、私はついつい「早く早く!」と急かしてしまったり、余計な手出し口出しをしてしまう傾向がありました。
他人に対してはそれでも多少はブレーキが利くのだけれど、家族に対しては甘えが出るせいか、ブレーキが利かないことも!
そんな時、イライラせずに黙って待ってあげたり、黙って手助けしてあげられたらどんなにいいだろう、と思ってはいました。
よし!今度そのような場面になったら、そうしよう!と心に決める。
でも、そのような状況になると、理性のブレーキは一瞬にして吹き飛び、焦ってしまいます。
また、ある一定の期間をおかなければ次の行動ができなかったり、相手の出方を見てからでなければこちらからは動けなかったりする、という待たされ場面も私にとっては苦しいものです。
ま。単なるせっかちと言えば、それまでですが(^_^;)
待つということは、単なる時間のロス!という合理的な考えがどうしても浮かんでしまう私だけれど、待つという時間の持つ素晴らしい点もたくさんあることもわかりかけています。
すぐに行動を起こすことが必ずしも良い結果につながるわけではない。
むしろ、待たされている間にじっくり考え、気持ちを落ち着かせることで、さらなる良いひらめきや、人との良い関係を築けることもある。
そしてなぜか私は、一緒にいて待たされることが多くても、自分とは真逆の、のんびりおっとりさんタイプと縁があり、そういう人が好きみたいです。
時間こそ最も賢明な相談相手である。
古代アテネの政治家、ペリクレスの名言。
古代アテネの政治家、ペリクレスの名言。
今の私にはこの言葉が一番響きます。