なんとなくスピリチュアルブログ

あえて間違うほうを選ぶ勇気

人は年齢を重ねていくうちに、いろいろなことに気づかされていていくものですね🤔


かつての私は、正論を言って相手を封じ込めようとしたり、相手を正そうとして余計なお世話を焼いてしまったり、ということを多々してきたような気がします。


正論をかざすことこそ正義であり、世の中のためにもなるはず!

そんなふうに思っていました。


性格的にも白黒はっきりつけないと気が済まないところがあり、どちらが正解でどちらが間違いか、どちらが真実でどちらが嘘か、といった追及にこだわるようなところもありました。


しかし、歳を重ねていくうちに、そこにこだわることは、自分も相手も追い込むだけの、大きな間違いだったように思えてきたのです。



不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは

むしろ親切と慈しみのうちに

間違うほうを選びたい 



私の好きな マザーテレサの言葉です。


これはここ数年、ことあるごとに私の心に強く響き続けています。


この言葉の解釈の仕方は様々あるのかもしれませんが、私の場合には、価値観や人に対する接し方がだいぶ変わってきたように思います。


私の目から見ると明らかに間違ったことをしている人に対しても、その人がそれで満足しているなら、それはそれでいい 受け入れてみよう。

もちろん、法を犯すようなことや命の危険にさらされるようなことでなければ、ということではありますが。


嘘も方便、と言う言葉もありますが、

相手が求めている言葉であり、その言葉によって相手が安心したり元気になれるのであれば、嘘の言葉を投げかけてあげることも、愛なのではないかと。


過去の私は、真実を知らせることこそが、その人にとって一番必要なことであり、親切な行為なのだと思っていました。

でも、もしかしたらほとんどの人は、

心の奥底で真実には気づいていたのかもしれません。


それでも、そのときこそ必要であり欲しかったのは、誰かが自己満足から発した真実の言葉ではなく、


愛のこもった別の言葉だったのではないかな。。。😌 

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