「マイ・レフトフット」「父の祈りを」など人間ドラマの秀作で知られるジム・シェリダン監督が初めて挑んだサイコスリラー。主演は6代目ジェームズ・ボンドことダニエル・クレイグで、007と違って、身も心もボロボロになりながら正体不明の敵と戦う姿が印象的です。
物語は、出版者に勤めるウィルは、家族と過ごす時間を大切にするために退職し、郊外の広い新居に引っ越して、妻と二人の娘が笑顔で迎えてくれる。そんな幸せを夢見て水入らずの生活を始めた。
ところが、新居はワケあり物件だったのだ。幼い娘たちは幽霊や家を覗く謎の男に怯える。ウィルがこの家の過去を調べると、5年前にこの家で、母娘3人が射殺され、容疑者の父親は精神病院へ入院中だと判明する。家族を守るためにウィルの暴走が始まる。
<感想>昨年に公開されたのに、地方ではやっと正月明けに上映。念願のマイホームで起きた悲劇、そしてさらに二転三転する展開に加え、本作がきっかけで結婚したクレイグと妻役のレイチェル・ワイズとの息の合った演技も見ものですよ。お向かいの住人、アン・パターソンにナオミ・ワッツが演じて、5年前の事件のことを知っているらしい色っぽい人妻役だ。ウィルには親切だが、何故か妻のリビーには挨拶をしようとはしない。それに離婚したのか、アンの元夫の怖い顔、それこそ挨拶もなしで、これが後で事件の鍵を握っていたとは、まさかまさかのどんでん返しに誰が想像しただろう。
家が舞台であり、事実上の主役となるホラー映画はゴシック文学の本道だが、家という観念が生まれると同時に、それがやはり夢、物語、そして映画のメタファーとしての家という構造は、ポーの作品とその度重なる映像化を見れば一目瞭然である。
主人公ピーター・ウォードもまたその線の名前だからで、ウォードは家や部屋を指し、ピーターはありふれた名前とはいえ、名前からしてこの映画のすべてを表しているのが最後に分かる。
ウォードとは字引で引くと、病棟、病室、監房とか保護、警戒、そして監禁とあって、この映画の世界そのもの。相当に、ウィットに富んだというか、遊び心のある映画でもある。
しかしだ、映画そのものは、ひたすら恐怖映画なのだし、主人公はウィル・エイテンテンという奇妙な名前を持つ小説家として登場する。
大都会のビル街を駆け回る編集者暮らしをやめて、田舎に引っ込んで小説を書こうとする。そうやって手に入れた郊外のこじゃれた家が問題の家である。
理想の家、理想の家族は文字通りのドリームハウスで、「夢のお家」として描かれる不動産屋のキャッチフレーズ。これにたちまち怪異の小道具がたたみかけられる。
窓に映る人影、襲い来る生き物じみた車。ここら辺は、かつての恐怖映画のパロディ集の感があると思う。秘密の地下室に、見知らぬ悪童たちが集まって浄化の儀式をやっている。そこへ主人公がやってきて怒って顔を出すと、少年たちは「奴が戻った」と叫びながら逃げていくが、ここら辺はちょいと古いがスティーヴン・キングの『IT』(イット)とかを思い出してしまう。
余りに小道具、小芝居がたたみかけられるので、なんか意気消沈してしまう。だが、そこから先が、ジム・シェリダンのメタフィクション開始なのだ。5年前に起きた母娘三人殺しの、呪われた家だったのですね。母娘殺害の犯人は、その一家の主で、現在は更生施設に収監中というのだ。それがどうやら主人公その人であるらしい。ここまで観るともう犯人は主人公のウィルだろうなんて、勝手に決めつけてしまう。
映像の中で、犯人を映した映像を見たウィルが、「これは僕だ」という瞬間から、現在と過去、現実と空想が激しく交錯する。ひょっとして恐怖映画史に残るかもと惑わされる。序盤では新居をめぐる「呪怨」を思わせるホラー的展開で始まり、中盤からはサイコサスペンスに。
さらにお隣のナオミ・ワッツが絡むクライマックスでは、もうひと捻りと。大どんでん返しで主人公が何故、精神病院送りになったかが判明する。
だが、かつてはそれも「夢のお家」でありながら、主人公の家と相似形の隣の家の夫婦との関係で、物語は一挙に合わせ鏡の錯覚に陥ってしまう。夢も家も、不動産やと精神分析医の間を行ったり来たりして、物語は大きく円を描くようにまわり、主人公のピーターが元の大都会の雑踏に戻る。
そしてピーターの書いた小説「ドリームハウス」が、ベストセラーとして注目を浴びているのだが、その中味を観客はすでに知っているという終わり方が実に素晴らしかった。
2013年劇場鑑賞作品・・・6 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキングへ
物語は、出版者に勤めるウィルは、家族と過ごす時間を大切にするために退職し、郊外の広い新居に引っ越して、妻と二人の娘が笑顔で迎えてくれる。そんな幸せを夢見て水入らずの生活を始めた。
ところが、新居はワケあり物件だったのだ。幼い娘たちは幽霊や家を覗く謎の男に怯える。ウィルがこの家の過去を調べると、5年前にこの家で、母娘3人が射殺され、容疑者の父親は精神病院へ入院中だと判明する。家族を守るためにウィルの暴走が始まる。
<感想>昨年に公開されたのに、地方ではやっと正月明けに上映。念願のマイホームで起きた悲劇、そしてさらに二転三転する展開に加え、本作がきっかけで結婚したクレイグと妻役のレイチェル・ワイズとの息の合った演技も見ものですよ。お向かいの住人、アン・パターソンにナオミ・ワッツが演じて、5年前の事件のことを知っているらしい色っぽい人妻役だ。ウィルには親切だが、何故か妻のリビーには挨拶をしようとはしない。それに離婚したのか、アンの元夫の怖い顔、それこそ挨拶もなしで、これが後で事件の鍵を握っていたとは、まさかまさかのどんでん返しに誰が想像しただろう。
家が舞台であり、事実上の主役となるホラー映画はゴシック文学の本道だが、家という観念が生まれると同時に、それがやはり夢、物語、そして映画のメタファーとしての家という構造は、ポーの作品とその度重なる映像化を見れば一目瞭然である。
主人公ピーター・ウォードもまたその線の名前だからで、ウォードは家や部屋を指し、ピーターはありふれた名前とはいえ、名前からしてこの映画のすべてを表しているのが最後に分かる。
ウォードとは字引で引くと、病棟、病室、監房とか保護、警戒、そして監禁とあって、この映画の世界そのもの。相当に、ウィットに富んだというか、遊び心のある映画でもある。
しかしだ、映画そのものは、ひたすら恐怖映画なのだし、主人公はウィル・エイテンテンという奇妙な名前を持つ小説家として登場する。
大都会のビル街を駆け回る編集者暮らしをやめて、田舎に引っ込んで小説を書こうとする。そうやって手に入れた郊外のこじゃれた家が問題の家である。
理想の家、理想の家族は文字通りのドリームハウスで、「夢のお家」として描かれる不動産屋のキャッチフレーズ。これにたちまち怪異の小道具がたたみかけられる。
窓に映る人影、襲い来る生き物じみた車。ここら辺は、かつての恐怖映画のパロディ集の感があると思う。秘密の地下室に、見知らぬ悪童たちが集まって浄化の儀式をやっている。そこへ主人公がやってきて怒って顔を出すと、少年たちは「奴が戻った」と叫びながら逃げていくが、ここら辺はちょいと古いがスティーヴン・キングの『IT』(イット)とかを思い出してしまう。
余りに小道具、小芝居がたたみかけられるので、なんか意気消沈してしまう。だが、そこから先が、ジム・シェリダンのメタフィクション開始なのだ。5年前に起きた母娘三人殺しの、呪われた家だったのですね。母娘殺害の犯人は、その一家の主で、現在は更生施設に収監中というのだ。それがどうやら主人公その人であるらしい。ここまで観るともう犯人は主人公のウィルだろうなんて、勝手に決めつけてしまう。
映像の中で、犯人を映した映像を見たウィルが、「これは僕だ」という瞬間から、現在と過去、現実と空想が激しく交錯する。ひょっとして恐怖映画史に残るかもと惑わされる。序盤では新居をめぐる「呪怨」を思わせるホラー的展開で始まり、中盤からはサイコサスペンスに。
さらにお隣のナオミ・ワッツが絡むクライマックスでは、もうひと捻りと。大どんでん返しで主人公が何故、精神病院送りになったかが判明する。
だが、かつてはそれも「夢のお家」でありながら、主人公の家と相似形の隣の家の夫婦との関係で、物語は一挙に合わせ鏡の錯覚に陥ってしまう。夢も家も、不動産やと精神分析医の間を行ったり来たりして、物語は大きく円を描くようにまわり、主人公のピーターが元の大都会の雑踏に戻る。
そしてピーターの書いた小説「ドリームハウス」が、ベストセラーとして注目を浴びているのだが、その中味を観客はすでに知っているという終わり方が実に素晴らしかった。
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