今日はそうでもないなー足のむくみ。
足背に圧窩が残るくらいだから。
ひどい時は下肢全体にパンパンになる。特にみぎあし。
今の主治医の先生に聞くと
骨盤内の手術の影響だろうという。私もそう思う。
癌は再発していないが、その後遺症に苦しんできた母。
「手術するだけが治療じゃない、こうなると解ってたら受けなかったよ」と
怒ったように言っていたな。患者や医師に伝えたいとも言っていた。
同じようなことで苦しんでいる方がいらっしゃるかもしれないし、
母が伝えたかったことと、看護師でもある私が書けることを
少しずつ書いておきたい。
母は、昭和63年に乳がんで左の拡大術をした。創の経過が悪く骨まで見えていた。
1年以上かけて治し仕事に復帰した。
その後
平成4年、極度の貧血で受診、緊急入院。
直腸、子宮、仙骨、リンパ節。大きく拡大して取れるだけとった。
その後の放射線治療。最大量かけたといわれた。
当時の癌研究会病院ではスタンダードな治療だったのかもしれない。
5年経ったら、もう治ったから来なくていいといわれた。
「再発無、治癒」のデーターが取れたらもう要らない、といわんばかりの対応。
余り思い出したくないネガティブな経験だけど、
今の自分には振り返ることが必要かもしれない(また今度ね)。
そのおかげで癌の再発はなく、本人曰く「生き永らえている」。
だけど、後遺症に悩まされて、「死んじゃったほうがいいよ」とよくいってた。
母が一番悩んでいた尿路の後遺症と経過をまとめておこう。
神経因性膀胱で失禁・・・H4年の術後は自尿が回復していたが、放射線治療で漏れはじめた。母は、医師に訴えても取り合ってもらえず、ナプキンを大量に買って対処したという。癌研の売店の人が不審に思って尿パットを勧めてくれたらしい。
その後18年間オムツがはずせない。自己導尿をする時期も有ったが、残尿が少なく失禁のみとなった。障害についていくら説明しても「お漏らしを治したい」気持ちが消えず、ナヤミ続けてた。
放射線性膀胱炎・・・放射線治療をして、16年後になり血尿がはじまった。とにかくひどい。入院してかん流治療をするしかない。出血点が定まらないので、膀胱鏡をしても止めようが無い。H20,21年は血尿の年だった。入院は3回だけど、自宅でもずっと続いた。せん妄になるから、よっぽどじゃないと入院させられなかった。オムツをチェックして膀胱タンポナーデになっていないかを気にする日々。母も不安だったみたい、トマトジュースどころじゃなかったから。
認知がおかしい日は、82歳にして「なんか生理になっちゃった」と爆弾発言があったのを思い出すww
その間に右尿管の瘢痕化による水腎がわかり、腎瘻を作った。
病名は「直腸がん」だったけど、後遺症としては尿路に大きく影響した。
足背に圧窩が残るくらいだから。
ひどい時は下肢全体にパンパンになる。特にみぎあし。
今の主治医の先生に聞くと
骨盤内の手術の影響だろうという。私もそう思う。
癌は再発していないが、その後遺症に苦しんできた母。
「手術するだけが治療じゃない、こうなると解ってたら受けなかったよ」と
怒ったように言っていたな。患者や医師に伝えたいとも言っていた。
同じようなことで苦しんでいる方がいらっしゃるかもしれないし、
母が伝えたかったことと、看護師でもある私が書けることを
少しずつ書いておきたい。
母は、昭和63年に乳がんで左の拡大術をした。創の経過が悪く骨まで見えていた。
1年以上かけて治し仕事に復帰した。
その後
平成4年、極度の貧血で受診、緊急入院。
直腸、子宮、仙骨、リンパ節。大きく拡大して取れるだけとった。
その後の放射線治療。最大量かけたといわれた。
当時の癌研究会病院ではスタンダードな治療だったのかもしれない。
5年経ったら、もう治ったから来なくていいといわれた。
「再発無、治癒」のデーターが取れたらもう要らない、といわんばかりの対応。
余り思い出したくないネガティブな経験だけど、
今の自分には振り返ることが必要かもしれない(また今度ね)。
そのおかげで癌の再発はなく、本人曰く「生き永らえている」。
だけど、後遺症に悩まされて、「死んじゃったほうがいいよ」とよくいってた。
母が一番悩んでいた尿路の後遺症と経過をまとめておこう。
神経因性膀胱で失禁・・・H4年の術後は自尿が回復していたが、放射線治療で漏れはじめた。母は、医師に訴えても取り合ってもらえず、ナプキンを大量に買って対処したという。癌研の売店の人が不審に思って尿パットを勧めてくれたらしい。
その後18年間オムツがはずせない。自己導尿をする時期も有ったが、残尿が少なく失禁のみとなった。障害についていくら説明しても「お漏らしを治したい」気持ちが消えず、ナヤミ続けてた。
放射線性膀胱炎・・・放射線治療をして、16年後になり血尿がはじまった。とにかくひどい。入院してかん流治療をするしかない。出血点が定まらないので、膀胱鏡をしても止めようが無い。H20,21年は血尿の年だった。入院は3回だけど、自宅でもずっと続いた。せん妄になるから、よっぽどじゃないと入院させられなかった。オムツをチェックして膀胱タンポナーデになっていないかを気にする日々。母も不安だったみたい、トマトジュースどころじゃなかったから。
認知がおかしい日は、82歳にして「なんか生理になっちゃった」と爆弾発言があったのを思い出すww
その間に右尿管の瘢痕化による水腎がわかり、腎瘻を作った。
病名は「直腸がん」だったけど、後遺症としては尿路に大きく影響した。