Iさんは、現在重病の身である。
郵便を受け付けるいう日にちを待って、不自由な体でのIさんから
いただいた手紙はうれしかった。
Iさんは、阪神淡路大震災を経験していた。
その話を聞いていたことも、淡路島に一緒に渡り地震の被害を説明されたこともある。
すっかり人ごとと感じていた大震災がそれ以上の猛威を奮って東北を打ちのめしたのだ。
Iさんと出会ったのは震災から6年後だったろうか。
ヨーロッパへの旅で一緒だった。
明るいIさんは、東北にはいないタイプの肝っ玉の大きな人だ。
昨年夏頃に病に倒れ、生死の間を彷徨いながら2ヶ月
の意識不明後に、手紙も話もできる体に回復した。
しかし、翌朝、自分は生きてるだろうかと意識しながら夜、眠りに就くという。
ベットの上で不自由な体で今回の地震のニュースに、私や娘の安否を気遣った手紙
をくれたのである。
強く長い揺れの最中も私は、Iさんを思い出していた。この地区がこんなにひどい揺れなら
震源地は想像もつかない被害があるだろうと。
Iさんはきっと手紙をくれると、どこかで思っていた。
それは、Iさんはまだ生きているというIさんの安否確認と私の心配事の解消にもなるからだ。
しばらく郵便も宅配も届かない地域となった福島に、
第1号の郵便物は、Iさんからの手紙であった。
うれしかった。ポストから取り出した母も「ほら、Iさんだよ」と弾んでいた。
励ましの内容をみて一瞬息が詰まった。
夫が退職間際の仕事についても触れてあり、娘のいる東京も心配してくれていた。
不自由の身でありながら、何か欲しい物があったら送りますからとも書かれていた。
東京の人々が一番今回の災害で騒いでいること、
東北の人々の我慢強さは世界中が賞賛してますと励ましてくれた。
一番心を打ったのは、日本神話にある、「淡路島は混沌の中からできた」こと、
今の混乱を超えこれから今以上の復興が期待されると結んであったことだ。
淡路を訪ねたのは震災後7・8年、神戸の街はすっかり復興していた。
ご自分の身と重ね、「生きてりゃいいいいのさ」という河島英伍の歌に励まされているとも。
例年なら、明石湾でとれたイカナゴで釘煮をたくさん作り、送ってくれていたIさん、
重病でありながらポストカードを選び、一心に書いてくれた貴重な手紙。
今日、私は、ゆっくりと返事を書く時間をとった。
できあがり、ハルのママに乗せてもらい郵便局まで行き、投函した。
Iさんの手紙は、3日間かかって福島に届いた。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事