a green hand

国家試験1級合格おめでとう!


今朝、家電(電話)がなり夫が受けた。
夫のすぐ近くに私が居たので、電話の相手の話を遮るようにして私に電話を差し出した・・・。
「久しぶりだったね~ 元気?」
「メール見てくれた?」
「いつくれたの?」
「昨夜 やっぱり見てくれてないんだ」
声の調子から悪い話ではなさそうと思い問うと、うれしくてたまらないというH君の弾んだ声。

「前に旦那さんとMさんの前で受験することを話したでしょう?ようやく合格できました。嬉しくてI君やA君にメールしても返信がないので電話をしまくっているんだけどね」

と、とても素直な同級生に可愛いな~と思った私はハッとした。

私は年老いたな~と。
同級生を可愛いだなどと思うこと自体すでに年寄りである。

よかったね、頑張ったねを繰り返しメールを読むからねと言って電話を切る。

メールは届いていた。
うれしさが滲み出ていた。
60歳以上の一発合格は無理で数年かかること。
自分も例に洩れず3年かかったこと。
75歳まで現役で頑張るからMさんもがんばるようにという内容だった。

返信をした。
国家試験を突破した1級のピアノ調律師のH君に、我が家の年代物のピアノを調律していただけるのはとてもうれしいこと。

H君の忍耐と努力はたくさんの同級生や調律師仲間に夢を与えるだろうことなどの感想をしたためた。


私が読んで感動した人気のない本「人間の分際」に載っていた一番の感動の言葉が当てはまる、うれしいH君の合格報告だった。

「打ち出の小槌」に相当するものは「忍耐」しかないと言い切った、曽野綾子。

若いものが一番嫌う言葉である。
打ち出の小槌さえ意味不明だったりするかもしれない。

人生の半分が幸せで半分が苦労だとすると一般的に30代から60代の生き方が左右する気がしている。
人生のはじめと終わりは幸せであったほうが望ましい。

駅で人を待っていた時のこと、関西なまりの男女が知り合いの人間のことを話していた。

「あいつは若い頃にうまいことやっていい生活をしていたが今はバチがあたって浮浪者のようだ」と。
浮浪者のようになったその男は、打ち出の小槌の代わりに何を振っていたのだろうか?

なんだか暗~い気持ちで人を待つ結果となってしまった。
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