全く新次郎さんは優しい人だと・・そして「強くなくては人に優しくなれない」と言ったあさの母親?記憶が怪しいが娘のはつに言った言葉を思い出しながら今日のスタートを切った。
いつものことで8:00のテレビを見るとそのままダラダラと・・・付けっぱなし。
興味のある内容に出会うと集中である。
今日は、野坂昭如の仕事だった。
名前は知っていた。
顔もわかる。
しかし何をした人かはわからない。
ただ、時の流れの中で如何わしい顔だな~と思ったことはあった。
それだけでなんの関心もなかった人。
ところがである。
「おもちゃのチャチャチャ」も「火垂るの墓」私の身近なところにあったのだ。
「おもちゃのチャチ」に至っては数えられないほどにピアノで弾いて歌って仕事をした。
それが、あの如何わしいと思っていた人の作品だったの?と本当に驚いた私である。
「火垂るの墓」は一度観たらもう沢山というほど切ない映画だった。
野坂昭如自身、自分の人生を映し出したこの映画を最後までは辛すぎて見られなかったと言う。
人は顔じゃないな~と顔を意識して人を見たことのない私が、映像だと顔で判断してしまっている。
多分、エロい事がなぜ悪いみたいなハッタリの発言の頃に出会った野坂昭如だったのだ。
エロい=野坂昭如という図式が未熟者の記憶の中に出来上がっていた。
死して初めて知ったことの多い「野坂昭如」は一晩にしてエロいから平和主義者へと塗り変わっていた。
戦争経験者として反戦を訴える人がまた一人世の中から消え、その言葉だけが残る。
彼の人生の最後に残した不安と人類に対する平和への願いが心に刻まれた朝であった。
ノーベル賞受賞記念晩餐会でわく世界の華やかさの中、一芸術家の平和への願いは小さく目立たない。
しかし、戦争のない平和を願うということで言えば芸術家は根本を身体で知っていると思う。
何を歌う、何を表現する、何を訴えたいか突き詰めればそれは愛であり平和であることなのではないか。
それが美しいからこそ人々はその作品に惹かれ精神性が情緒が喜ぶことが堪らないのだと感じる。
芸術家一人一人の力が結集した時の力は大きい。
しかし、何かあるとそういうものが一番先に排除されるのだから一番怖い。
「この国にひたひたと戦前が押し寄せていることは確かだ」が一番怖い・・・。
知らない間に状況が出来上がってくるということだ。
いったい誰が…。
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