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1月初旬に命日を迎えた父。
何年経っても、不思議なほどに存在感のある人です。
私は、命日にお墓参りに行くより、毎年家族で祝福した誕生日に思いを寄せる時間の方が好きなのです。
雪深い長い冬...そんな雪国で、2月初旬に生まれ育った父。
暖房は、囲炉裏と火鉢とこたつ...深夜の授乳やおむつ替えの時には寒かったことでしょう...
おむつや産着の洗濯も大変だったことでしょう。
父の母、私の祖母は父がものごころつく頃には亡くなっているので、私は古いモノクロの写真でしか知りません
四男四女を残して亡くなった祖母の代わりに、母親のように弟たちと妹たちの世話をしたのは長女。
長女である伯母は、おおらかな雰囲気の優しい人でした。
いつでも強気な父でしたが、今思えば...長女の伯母には「頭が上がらない」状態だったことが分かります。
父を叱り飛ばすことができたのも、優しい伯母だけだったのかもしれません。
伯母は、私たち姉妹にも母にも、いつも笑顔で優しくしてくれました。
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お供えの品は、いつでもお菓子です。 今回の父のためのお菓子は、叶匠寿庵さん... 万両と千両が美しく描かれた掛け紙に見とれます。 |
折に触れて、姉が父好みのお菓子を選んで買ってきて くれました。 そんな想い出のあるお菓子... |
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命日のお供えではなくて、お誕生日のお祝いですからね。 母が大切に使っていたお菓子皿は、父亡き後... 姉が私に黙って手渡してくれた形見の品のひとつです。 |
姉が当たり前のような振りをして、私に手渡してくれた 想い出の品のひとつです。 |
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想い出の花々は、いつも心の中に。.:*・゜ |
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お正月に活け込んだ千両は朱色、そして...万両は深紅...同じ「赤」でも、微妙に違いますね。
真冬に生まれて真冬に逝ってしまった父と、真夏に生まれて真夏に逝ってしまった母...
父と母の家と庭は、姉と私の心の中に...
15歳で、どうしても東京で進学したいと母方の伯父を頼って上京した父の武勇伝を懐かしく思い出したりしています。
柳行李1つに荷物を詰め込んで、背負ってきたのだそうです...
新聞社勤務の母方の伯父の紹介でメッセンジャーボーイのアルバイトを続けて大学進学、卒業した話...などなど...
当時は、社員の方々に「ぼうや」と呼ばれていたそうです。
社旗が翻る屋上で...角帽を被った学生服姿で、友人たちと満面の笑みを浮かべている写真がありました。
モノクロ写真ですが、青空にはためく社旗なのでしょう。
この後、戦禍に巻き込まれていったのですよね...
あの戦争が無かったら...巡り合うことも出会うこともあり得なかった父と母だったと思います。
交わることなどあり得ない、それぞれの人生だったように思います...
東京では、穏やかな晴天ですが、明日は曇り空のようですよ。
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