black potion no.6

三十路のモーターサイクル好き、徒然日記です。

『誰も守ってくれない』 感想 その参

2009年02月24日 17時01分05秒 | movie
映画『誰も守ってくれない』の感想です。
こちらの記事を読む前に、その壱その弐を読んでいただけたらと思います。
ネタバレがありますので、映画を見たくなった人は、見終わってから読んでください^^











3:守るということ


物語のクライマックスで、刑事が少女にこう告げます。

「今日からお前が家族を守るんだ。守るということは、その家族の痛みを知るということだ。人の痛みを知るというのはつらいことだけれど、お前が今日からやっていくんだ。」

細かいニュアンスは置いといてw、このようなことを言います。


私は、人を守るという言い方が好きではありませんでした。
完全に人を守ることなど、できないからです。

四六時中その人にくっついて守っていたとしたら、逆にその人自身が攻撃している人の一人になってしまうでしょう。

しかし、今回のこの守るという定義に、すこし得心させられました。
なるほど。
そういう考え方もあるのか。
そうとらえれば、守るということに関しても納得いくかもしれない。


また、今回テーマとして「家族を守る」とありましたが。
家族と家庭に関して、自分は次のように定義していました。

「家族はなるもの」
結婚したり、夫婦の子供として生まれれば、意志とは関係なくそれは家族という集団に属することだと思っています。

「家庭は築くもの」
”庭”とあるように、その場所(個人という点と点が結ばれあってできる場所)は長い年月をかけて少しづつ築き上げていくものだと思っています。
なので、こちらには強い意志が必要です。
しかも、一朝一夕にできあがるものではありません。
逆に、血縁を超えてでも築き上げられると思っています。
(つれ子や、養子に関しても)


たぶん自分の定義におきかえると、「家庭を守る」となるのかもしれません。

もうちょっと、この守るということに関しても、考えてみたいと思います。
また、お互いに守りあうということに関しても。




付記:子供が犯罪にかかわり、加害者や被害者になるということ

自分は、よく話す話なので、聞いた方もいらっしゃるかもしれませんが。

以前、結婚や出産について友人と話していた時に、こう言われました。
ちょうど、少年犯罪が多発して、またイラク捕虜問題などで自己責任という言葉が氾濫していた時だったと思います。

「自分は怖くて、子どもなんて産めない。だって、もしその子が大きくなって、犯罪の加害者になったりしたら、どう責任とっていいか分からないもの。」

その壱でも話しましたが、やはり人間、条件さえ整えば、どんな人でさえ(自分でさえ)加害者にも被害者にもなるのです。

もしそうなってしまったとしたら。
親として、その子の罪をつぐなうのを支えつつ、その事態を受け入れ支えていかなければならないのでしょう。
自分は、そう考えています。



ここまでお付き合いいただいた方は、長いことありがとうございました。
こたえのない映画なので、余計いろいろ考えさせられました。

いい映画を観れて、よかったです^^

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