弁慶がな、ぎなたを持って
弁慶が薙刀を持って
薙刀は
紋服に袴で白だすきをかけ おもむろに
横に払って振りまわす動作には舞のような趣がある
大正13年より
台北第二高女全学年が薙刀を習得することとなる
昭和4年10月24日
東伏見宮妃殿下が愛国婦人会総裁として
台北第二高女にお成りになった
雨天なら屋内で特科の薙刀の技を台覧に供す予定であったが
当日はあいにくの晴天でまぼろしに終わった
昭和7年4月
中岡正子(安部)
2年生へ転校して来て一番困ったのが薙刀
切っ先が 「反対!」 と指摘される有様であったが
気性に合っていたのか一気に上達してしまった
昭和9年10月13日
4年生の時
2年生筑紫敏子と共に
梨本宮守正殿下を大日本武徳会総裁としてお迎えし
薙刀の型が御台覧の光栄に浴した
薙刀の精神
先(機先を制す)真(真剣)心(残心)
を 今なお生かさせて戴く
昭和9年4月
田岡登志枝(吉田)
放課後のスポーツは運動神経の鈍い私は薙刀を選んだ
白の稽古着に黒の袴で武徳殿に通いはじめ
入試前に父から聞いた
李王殿下のお成りで武徳殿で二高女の生徒が
薙刀の型をお目にかけたという その生徒も知った
その生徒 筑紫敏子さんの太刀さばき 目の鋭さはさすがで
受けてあげるからおいでと言われた時はハッとした
武徳殿には熱心に通い続け ついには
薙刀の先生になって欲しいと言われるまでになった
昭和11年3月
川井田ユリ子(原田)
3年生への転校生となって困ったこと
それは薙刀・・
皆さんは既に2年間の経験があるが私はゼロで
特別指導を受け上手な級友が個人指導もしてくれ
それでも 気合いを掛ける
これがなかなか出来なかった
おなかの底から声を出せ
と言われても口先だけのヤア!エイ!でした
昭和15年
紀元二千六百年
神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝う記念行事として
帝大グラウンドで市内の女学生が集まって
二高女の生徒は薙刀を演技した
昭和14年3月卒業
昭和20年6月母校の教師になって
岸菊子(木村)
終戦を迎え戦後処理で同期の先生と二人で校庭の隅に穴を掘り
沢山の薙刀を泣きながら焼いた事が心に強く残っている
皇軍慰問 楽踊の夕
昭和12年 北支事変 勃発
皇軍将兵諸士に感謝
一般の人にも公開
舞踊
ピアノ
独唱
狂言
琴
バザー
昭和6年5月1,2,3日
和洋服
和装小物
フランス刺繍
フラワーアート
造花
ビーズ手芸
鉢植え
種子
育児展覧会
昭和9年4月
田岡登志枝(吉田)
入試前に父から聞いた
李王殿下のお成りで武徳殿で二高女の生徒が
薙刀の型をお目にかけたという
朝鮮の皇族が台湾に行啓されるというのに・・
昭和11年3月
川井田ユリ子(原田)
3年生への転校生となって
石井校長は真紅の校旗を作り
婦徳涵養の碑を建て栄光園を整備された
弁慶が薙刀を持って
薙刀は
紋服に袴で白だすきをかけ おもむろに
横に払って振りまわす動作には舞のような趣がある
大正13年より
台北第二高女全学年が薙刀を習得することとなる
昭和4年10月24日
東伏見宮妃殿下が愛国婦人会総裁として
台北第二高女にお成りになった
雨天なら屋内で特科の薙刀の技を台覧に供す予定であったが
当日はあいにくの晴天でまぼろしに終わった
昭和7年4月
中岡正子(安部)
2年生へ転校して来て一番困ったのが薙刀
切っ先が 「反対!」 と指摘される有様であったが
気性に合っていたのか一気に上達してしまった
昭和9年10月13日
4年生の時
2年生筑紫敏子と共に
梨本宮守正殿下を大日本武徳会総裁としてお迎えし
薙刀の型が御台覧の光栄に浴した
薙刀の精神
先(機先を制す)真(真剣)心(残心)
を 今なお生かさせて戴く
昭和9年4月
田岡登志枝(吉田)
放課後のスポーツは運動神経の鈍い私は薙刀を選んだ
白の稽古着に黒の袴で武徳殿に通いはじめ
入試前に父から聞いた
李王殿下のお成りで武徳殿で二高女の生徒が
薙刀の型をお目にかけたという その生徒も知った
その生徒 筑紫敏子さんの太刀さばき 目の鋭さはさすがで
受けてあげるからおいでと言われた時はハッとした
武徳殿には熱心に通い続け ついには
薙刀の先生になって欲しいと言われるまでになった
昭和11年3月
川井田ユリ子(原田)
3年生への転校生となって困ったこと
それは薙刀・・
皆さんは既に2年間の経験があるが私はゼロで
特別指導を受け上手な級友が個人指導もしてくれ
それでも 気合いを掛ける
これがなかなか出来なかった
おなかの底から声を出せ
と言われても口先だけのヤア!エイ!でした
昭和15年
紀元二千六百年
神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝う記念行事として
帝大グラウンドで市内の女学生が集まって
二高女の生徒は薙刀を演技した
昭和14年3月卒業
昭和20年6月母校の教師になって
岸菊子(木村)
終戦を迎え戦後処理で同期の先生と二人で校庭の隅に穴を掘り
沢山の薙刀を泣きながら焼いた事が心に強く残っている
皇軍慰問 楽踊の夕
昭和12年 北支事変 勃発
皇軍将兵諸士に感謝
一般の人にも公開
舞踊
ピアノ
独唱
狂言
琴
バザー
昭和6年5月1,2,3日
和洋服
和装小物
フランス刺繍
フラワーアート
造花
ビーズ手芸
鉢植え
種子
育児展覧会
昭和9年4月
田岡登志枝(吉田)
入試前に父から聞いた
李王殿下のお成りで武徳殿で二高女の生徒が
薙刀の型をお目にかけたという
朝鮮の皇族が台湾に行啓されるというのに・・
昭和11年3月
川井田ユリ子(原田)
3年生への転校生となって
石井校長は真紅の校旗を作り
婦徳涵養の碑を建て栄光園を整備された
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